さて、一浪して目標とする志望大学に合格したものの、半年ほどふわぁ~とした気分でいた。なんとなく学者になることを目標に大学へ入ったのであるが、いざ入学してみると、何をどうすればよいのかはっきりとしないことが現実になった。むしろ大学生活は、高校とは全く異なり、すべてが自由であるために、自分の力で考えて決めなければならない。
まず、最初に大学での新たな友達をつくること。中学、高校の仲間は、名古屋という地域に密着していて同質的である。大学は、様々なところから入学者がいるので話題が広くなるし、いろいろ異なる環境で育った人が様々な動機で入学してくる。話をしていても楽しい。
自由であるということは、メリットもあるが危うくなる人もいる。
また、私が大学に入学したころは、学生運動の延長で中核派が社会研究会などと偽って勧誘をしていた。感じの良い女性が勧誘してくるので、素直についていくとメンバーになるよう、引き込まれてしまう。私の場合は、これは変だな!と感じ、それ以上近づかなかったが、勧誘された人は抜け出すのに苦労したという話を後に聞いた。
学者になるために大学に入ったが、専門の勉強はあまり熱が入らなかった。とはいえ、様々なことに取り組んだ大学生活であり、学業以外の多くのことにチャレンジし経験したことが、社会人になってから生きてきたと実感している。
真面目にやれたことについてお話ししよう。
まずバイトは、家庭教師から始めた。それまでは教わってばかりであったが、生まれて初めて人に物事を教えることを経験した。この経験は、自分自身がどのように勉強を身につけてきたか、冷静に振り返り、人はどのようにわからないことを分かるようになるか、深く考えさせられる良い機会になった。大学1年の頃は家庭教師を掛け持ちでやっていた。
その後、知人の紹介で塾の数学の教師をやってみないかという話が持ち上がった。二つ返事で引き受けた。家庭教師のバイトで一人ずつ教えることには、自信がついていたので、学校の先生のようにクラスで授業を持つということを体験したかったし、教師の仕事に興味があった。
とにかく、自分がどれくらいできるか力を試したかったのが引き受けた主な動機である。
なんだかんだで、塾の数学の主任(中学生、高校生)を4年半、週に3日続けた。最初は定番のテキストを使用し授業を行っていたが、同じことを繰り返すと教える側が飽きてくるし、効果は限定的だということが分かってきた。そこで、教え方を工夫して自分でテキストを作成し実施することにした。定番の教科書を使用する場合、教師の熱意は限定的にしか伝わらないことに気付いた。自分で作成したテキストには、最初は出来が悪いものもあるが、自ら実践して改善することが楽しく勉強になる。また、生徒も学校で習う方法と異なることで新しい体験ができる。熱意を持ち長く続いたのが塾での教師であった。
小学校の時に劇団にいたことで、既に書いたが、大学入学後も再び演劇のバイトの声がかかった。東海テレビ主催の地方の公民館、ショッピングセンター、温泉地などで子供に人気の「開けポンキッキ」「赤ずきん」「ガッチャマン」などの40-50分の公演を行なう。バイトではあるが、当時、有名になりつつあるテレビの司会者や歌手も同行し公演を行う。本格的なショウである。ピーク時(子供の休みや連休など)は、毎週興行を行い、へとへとになった。特に夏場の公演でぬいぐるみをかぶり演技するのは厳しく、暑さで倒れそうになる。正に修行の場であった。
公演の指導者とタレントを目指す若者と一緒に似た出し物で、様々な場所を周る。繰り返すことで少しずつ改善を図り、次の公演で試す。いろいろな個性ある人と出会い、価値を高めてゆく。当時の駆け出しタレントが、今は、有名な司会者になっている人もいる。つボイノリオさんや水谷ミミさんが司会進行をしていて、ショウの盛り上げ方が上手かった。
演劇のバイトは、思い出に残る貴重な体験であり、今の自分の力の一部になっていると思う。
今振り返ると塾の教師と演劇のバイトは、多くの人と一緒に何かを行うという点で、コミュニケーションや人をまとめてゆくことに通じており、役に立っていると思う。
大学時代に始めたことでその他には、車を持っていたので、日本中の様々な場所へドライブした。また、高校生から続いていたバンド活動、スキー、麻雀、酒なども始めた。
さて、楽しい学生生活は、長くは続かない。卒業、就職活動が、誰にも神経を使う大きなイベントになる。

