30数年ぶりに箱根にある彫刻の森美術館を訪ねた。約2時間かけてじっくり彫刻(ここでは、彫塑全般のことを彫刻と表現している)の鑑賞と自然の中を散策した。野外展示を中心とした美術館なので心身ともにリフレッシュできる。
自然の中に配置された120点程の作品群は、抽象度の高い作品、具象的な美しい作品など変化に富んでおり、大人も子供も満足できると思う。彫刻の森美術館の歴史は古く、日本の高度成長期真っただ中の1969年の開場であり、世界有数の彫刻のコレクションを自然と調和させ発展してきたユニークな美術館である。
最後に訪れてから30数年ぶりだった私の記憶に残っていたのは、ヘンリー・ムーアの抽象度の高いオブジェだけであった。
ここ30年ほどの間に新たな作品や展示館などが構築されたために以前の印象は薄れて、作品だけではなく、美術館の広さや高低差などを使った庭園としての価値も合わせて、まるで初見のように感動した。
人は何故、美術や音楽などの芸術の鑑賞を行うのだろうか?
多くの人は、単純に芸術を楽しむためだろう。私の場合は、心身ともに刺激をうけることで、停滞した頭の創造性・柔軟性の衰えを補うという理由がある。美術品は、体中の神経を使って見ることで、新しい発見や感動が得られ、心を通じて頭を刺激してくれる。
慣れてしまっている環境で家に籠って頑張ったとして、良い発想や新たな創造性は生まれるのだろうか?新しい発想には、何か刺激が必要だと私は思う。
彫刻は、複雑なものを作者が感じるままに抽象化し、立体のオブジェとして表現する。作者が対象の本質を心で見抜き、考え抜いて立体表現するのが彫刻の特徴である。絵画は平面表現であるのに対して、彫刻は三次元であることが異なるので面白い。さらに音楽は、時間を伴う音の表現である。
いずれにせよ、感じ方や理解の仕方、表現方法に自由がありすぎているために纏めるには選択肢が膨大になる。“ひとつ”にすることが苦悩に満ちていて、楽しくもあり…ついに結論に到達させる。あるアーティストは“でかした!”と叫ぶかもしれない。そのようにして作品は出来上がる。
さて、彫刻の森美術館に来た動機に戻ると、人は、年を取ればどんどん頭が固くなると私は感じている。その理由は、年を取るにつれて経験が積み重なり、常識というものに縛られて、物事をいろいろな面からみられなくなるからだ。多分、脳も楽な方を選んでいるのだろう。放っておくと頭は、どんどん固くなるものと考えてよい。
頭の固い人には、以下の特徴があるようだ。
・人の意見を聞かない
・融通が利かない
・好き嫌いや経験で物事を決めてしまい、試すことをしない
・一つの決まったやり方にこだわる
ここから脱出するためには、「思考」の柔軟性を保ち、「思考」を無理にでも多様にし、「試行」し続けることだと私は考える。彫刻が完成するまでには、想像できないほどの「試行」があるはずだ。
それらの一部でも感じ取れれば、美術館に来た価値があるというものだ。一流の芸術家の努力と比べると、我々凡人は「試行」が極端に不足している。
思考や試行のエンジンは、自分で獲得し維持しなければならない。