~ アリストテレスのいう“幸福”とは何か? ~
今回のブログは、「アリストテレスの“幸福”」について述べる。私は、ここ2か月ほど、ある事情があって、読書、アーカイブ映像鑑賞などにより、知識の量を増やしている。何故かといえば、私たちは今まさに、変革の時期を迎えているからだ。
コロナにより次の時代への変化が少しずつ見えてきたように思う。しかし、この変化に対処するためには、人の力を変化させなくてはならないと私は考えている。令和の時代は、過去よりもはるかに複雑で多様になり、予期せぬ疫病、災害、戦争など、社会や生活のための課題解決は容易ではない。そのために「今に役立つ哲学」を勉強し直しているのだ。
遥か遠い過去の偉人たちが体系立てた知識、知恵の中には、現在に通じるものがたくさんある。“歴史に学ぶ”のだ。そのように私は考え、哲学の歴史を辿った。
哲学の原点は、ギリシャ哲学にある。ソクラテス、プラトン、アリストテレスといったギリシャ哲学の偉人から、令和の時代に役立つものはないか、通じるものはないかと試行錯誤の末に探しだしたのが、アリストテレス(BC.384-BC.322)のニコマコス倫理学である。
ニコマコス倫理学は、2,000年以上前に書かれた書物であり、現代の倫理学の原点になっている。哲学は哲学史を土台として「人間の存在」、「世界の根本原理」、「人生の根本原理」などをテーマに、理論的なことを扱う学問である。それに対して倫理学は、哲学の一部門と考えることができ、人として生きてゆく中で守るべき道、道徳、善悪、正邪(正しいこと、よこしまなこと)の基準となる考え方を学び、実践的な問題を扱う。
アリストレテスのニコマコス倫理学は、「幸福論的倫理学」と言われている。また、同じ倫理学でもカントが体系づけた倫理学は、「義務的倫理学」と言われ、現代哲学の基礎になっているが、2,000年以上読み継がれているニコマコス倫理学は、幸福になるという誰にでもわかりやすい目標を掲げた点が理解しやすい。倫理学は、人が生きるうえでの実践的な学問である。これは、知識を得るだけではなく、実践してみて初めて役に立つという学問である。また、アリストテレスは、倫理学は絶対的な原理原則を目指すものではなく、大まかに目的を達成できる指針となれば良いとした。大まかに80%から90%ぐらいあてはまれば良い。私は、経験上、感覚的に絶対的な倫理は存在しないと考えるので、アリストテレスも遠い昔に同様に考えたのだということに感動している。
アリストテレスは、あらゆる技術、あらゆる研究も、同様にあらゆる行為、選択も、すべてみな何らかの“善”を目指していると考えたのである。現代においては、会社組織、学校組織の理念、行動指針などを見ていくと、倫理学的な視点で作られていることがよくわかる。アリストテレスにおける“善”の概念は、とてもシンプルで素晴らしいと思う。何か価値あるものを“善”と言い、あらゆる人が目指すものである。“善”の行いの結果、何を最終的な目的にするのかを決めるべきである。故に私たちの生きる目的は、幸福の実現である。
私たちは、いろいろ悩み、様々な目標を立てるだろう。
・勉強ができるようになりたい
・専門性を磨きたい
・仕事ができるようになりたい
・お金を稼ぎたい
・世界で活躍したい
・有名になりたい
・高い地位を目指したい など
これらは、目的になるが、最終的な目的にはならない。“幸福”になるということは、目的になるが、手段にはならない。上記のような私たちの多くが認識する目的は、何かを得るための手段に過ぎない。アリストテレスは、それ以上手段にならない最終的なものを“幸福”と置いたのである。
次のブログは、“善”について詳しく述べてゆきたい。
(その2へ続く)