33年前の思い出を振り返れば・・・
ロンドンを後にして一路、北アイルランドのベルファストへ
さて、2018年8月28日から3日間ロンドンに滞在の後、仲間との合流地点であるベルファストへ飛行機で向かった。
読者の皆さんは、ベルファストという地名になじみは薄いと思う。ヨーロッパに駐在している人や長期滞在者でもなかなか訪問する機会の少ない場所だと思う。ベルファストには、世界最大級のドライドックがあり、タイタニック号が建造されたのは、このベルファストである。
北アイルランドのベルファストは、現在UKに属していて、北アイルランド最大の都市で首都である。1960年代から1990年代にかけて、IRAのテロ活動が盛んであった町である。1998年に武力での闘争に決着をつけて、和平合意後は静かな町に戻っているが、町の通りの場所によって、プロテスタント側とカトリック側に分かれているそうだ。私は待ち合わせの時間よりもかなり早めに町に到着したので、適当にパブに入り、そこで一杯やってから、待ち合わせのパブに向かった。ちなみにパブも、プロテスタント側とカトリック側に分類されているという話もある。
ベルファストの重要文化財になっているパブに全員集合
何故私は、ベルファストを目指していたのかといえば、1年以上も前の話であるが、私の関係しているITの協議会での親睦旅行先として決まっていたのだ。
日本とアイルランドの学術研究者、ビジネスマンの間で、東京、ダブリン周辺は、ワークショップやその研究会で互いに訪問するが、有名観光地への旅行に行く機会が少なかった。次回は、どこか楽しめる場所を決めてみんなで行こうという話になっていた。今回その企画が実現し、北アイルランドとアイラ島ツアーの実施となった。
このツアーの最大の目的は、北アイルランドの気の利いた町で一泊し、地元の料理で一堂で会食をし、同時にアイラ島でスコッチを満喫するということである。さて、行くとなると宿泊場所、車の手配やアイラ島へのボートのチャーター、パブツアーや会食場所の細かい企画が必要になる。
最終的に決まったのは、北アイルランドの首都であるベルファストの重要文化財になっているパブに、個々の滞在先からメンバーが集合し、そのパブで何杯かエール(ビターの一種)を楽しんだ後、チャーターした車で、北アイルランドの北端より70キロ先にある、ベリーキャッスルという港町に向かい、皆で地元おススメのレストランで会食をするのだ。
ベリーキャッスルからアイラ島ヘ
ベリーキャッスルは静かな港町であり、我々の宿泊したホテルは港に近い、いわゆる伝統的なホテルである。ここまでくると大都会ロンドンとは、まるで違う日本にはない田舎であり、のんびりとした時間が流れている。
翌日、時速70キロ出るチャーターしたモーターボートで、50キロほど先のアイラ島に行くという計画である。アイラ島は、本当にさみしい島で、数百年前は、海賊が暴れまわっていたような島である。
今では、ラフロイやアードベックという特有の癖のあるスコッチを製造することで有名になった。江戸時代から伝統的な手法で製造されたシングルモルト・ウイスキーは、独特のピートの香りが強く、スコッチの通に好まれている。
新しい話としてラフロイは、サントリーが買収した。買収後もラフロイブランドをしっかりと守り、日本企業が経営を安定させたことでアイラ島の地元でも歓迎されている。
私たちは、1815年創業のARDBEGの試飲ツアーに参加した。ショットグラスで基本5杯、お土産に一杯、モーターボートの中でまた一杯をほぼ全員が飲み干し、べろべろに酔ってしまった。互いにべろべろになり、すべてを超えて仲良くなる。素晴らしい!
志向を凝らしたグローバルな交流の素晴らしさ
同じ目標を目指すグローバルの仲間と、環境を変えてやや挑戦的なツアーを楽しむ。素晴らしいじゃないか!アイルランド人、日本人、イタリア人、インド人、大学教授、研究者、ビジネスマン、元外交官など立場や言葉や国の壁を越えて自然、食事、酒を共有し打ち解けあう。
当初この企画は、大学教授同士で合意したのであるが、コーディネータが居なくて困っていたようだ。企画オーナーであるアイルランドの大学教授が困ってしまい、自宅の隣に住んでいる元アメリカの外交官だった友人に相談したところ、この人が凄かった。元外交官の強力なコネとコーディネート力のおかげで、旅程も食事も特別なモーターボートも確保できた。あとでこのツアーのいきさつを聞いたのだが、本当に運も内容もよかった。
合流場所であったベルファストのパブで、その元外交官に初めて会ったのだが、最初から誰とも打ち解け、周りへの気遣いも素晴らしかった。さすが、アメリカの外交官は実力があるな~と感心した。それやこれやであっという間の2日間が過ぎた。こんな体験を未だにできるとは、本当に幸せなことである。
翌日は、ベルファストに戻り一泊した後、バスでダブリンへ向かった。
つづく