人は、一人では生きられない。
ある哲学者は、次のようなことを述べています。「人は、生かされてあり」人は、自分で生きているのではなく、生かされているのだ。であるから生きているということは、生かされているということであり、そのことにいつも感謝の気持ちを持つべきであると。
感謝の気持ちを素直に持てるかどうかが、その人の生き様を決め、人との関係を決定づけることになると考えます。感謝の気持ちがあれば、人は、人に対して貢献しなければならないということが理解できるはずです。与えること(誰かへの貢献)なくして、与えられ続けられるはずもありません。素直に与えることが、人にとって自然であることを知ることで、明るい、善意、愛、・・・などの前向きなことばが、その人の心の中に、湧いてきます。
明るい人、善意のある人、愛情深い人、人を信じられる人、健康な人、美しい人、与えられる人・・・物事をポジティブに考えられるということの前提には、心の中の状況が、そのようになっているということだと考えます。体の中身が、自然に外に、態度、表情、ことばになって出てくるだけなのです。心の様は、そのようになっています。
だからこそ、ことばは、大事だと思います。
ことばが先か心が先であるかは、関係ありません。要は、連動しているのです。だからこそ、自然体として、ことばを素直に受け止めますが、心と違ったことばを使おうとしても不自然なことばとして発せられてしまい、だれもが違和感を持ち、変だと気付くことができるのだと考えます。
逆に、暗い人、悪意のある人、憎しみを持っている人、猜疑心を持つ人、病んでいる人、醜い人(容姿のことではなく、心や態度)、与えるよりいつも何かを奪おうとする人の心は、どのようになっているのでしょうか?これらのすべてのネガティブなことを併せ持つような人は、殆ど居ませんが、ところどころに、憎しみや悪意などが、見え隠れする人は、ときどき見かけます。このような人から出てくることばは、いくら飾り、隠そうとしても多くの人は、不自然さを感じるのです。隠す、ごまかすことを続けているうちに、心が暗くなり、ことばも暗くなるようです。
今からでも遅くないので、心を入れ替えて、あるいは、ことばをあらためて、真から感謝のこころを生み出すしか、うまくいく方法はありません。
一方、完璧な人も居ません。完璧に明るく、善意に満ち溢れ、愛情たっぷりで、与え上手な人もいるはずもありません。
私は、このことばと心の原理を理解することで、暗い面や憎しみなどネガティブなものを自分の心がキャッチした時に、打ち消したり弱めたりすることが、できるように鍛錬できると考えています。
使うことばから改め、それを続けることで、心を変化させることは、可能です。
これは、他人の問題ではなく、自分の問題であることを理解しなければなりません。