今回のブログはITアーキテクチャから離れ、2月14日にご逝去されたDAMAジャパン元会長の松本聡さんとの思い出について、この場を借りてお話ししたい。
私と松本さんの出会いは、確か1996年、日揮情報(2016年富士通に買収)主催のデータモデリングツールERwinのプロモーションを兼ねたセミナーであった。場所はなぜか名古屋だったと記憶する(私とERwinとの出会いはさらに2年程遡る池袋サンシャインで催された展示会でのVer.2.1であった)。松本さんも、私もどちらもプレゼンターで、当時の松本さんはまだ独立される前のJSR所属、私は協和発酵の情シ部員であつた。 確か彼のプレゼンはデータモデル表記法IDEF1X(US Airforce採用)の紹介を始めとするデータモデリングの重要性を唱えるものだったと記憶する。私の方は当時社内で開発したC/S版会計システムのデータモデリングにERwinを用いた事例発表であった。松本さんの最初の印象は、一見気難しいオヤジに見受けられたが、データマネジメントについての造形は深くとても熱いのが印象的であった。
その後、松本さんはERwinユーザ会を立ち上げられ、私も入会し、様々な企業のデータモデラーやITベンダーの方と知り合うことになる。ERwin という1ツールをきっかけに、様々な企業から国内有数のモデラーが集まった。ここでのお楽しみは夕食後の二次会で、朝方まで”データ”を肴に語ったものだ(写真はその当時の模様、手前のデニムシャツが松本さん)。私もユーザ企業ながら何度か登壇させていただいた。思い出深いのは1998年葉山の湘南国際村で、当時流行りのDWH構築の事例をNS-SOL津村氏と共同発表させていただいた事だ。ちなみに、津村氏との出会いもまた、このERwinユーザ会であった。
松本さんは既にメタジトリーとして独立し、毎年精力的にタイムリーな企画を立ち上げ、日本国内にデータマネジメントの重要性を説いて行かれた。その姿は一見、頑固なデータオタクに見えたが、饒舌とは言いがたい地道な訴えは、さながら宣教師的でもあった。近年のエバンジェリストとの大きな違いは、製品を販売する事が目的ではなく、どんな企業体にも当てはまる原理の普及である。ベンダー非依存で、様々な方法論に中立で協調的だった。
年代はうろ覚えだが、2005〜2007年頃に小田原Hiltonで開催された合宿では、”DOAでもOOAでもいいじゃん”とのスローガンで、データ中心を標榜する人々と、当時かなりの勢いで台頭してきたオブジェクト指向の国内メンバーが集まり、それぞれの方法論の優位性が唱えられた。結論は出なかったが、最後は「どっちでもいいじやん」という緩〜い終わり方であった。頑固さと寛容さが共存しているところが松本さんの不思議な魅力であり、彼の周りには多くのエンジニアやIT業界の人間が集まった。
私はこの小田原を契機にオブジェクト指向、アジャイルといった新しい開発方法論に明るいメンバーとの交流が増えた。この小田原では、”モデルの鉄人“という、松本さんから出されたお題をモデル化するという企画があった。当時日本総研、現アーキテクタスの細川努さんが描いた秀逸なクラス図が、ER図に慣れ親しんでいた私にとって、とても衝撃的であった。
その後2010年、松本さんはNPOであるDAMAジャパンを立ち上げられた。DAMAでのご活躍は近年、皆さんが知るところであるが、最も大きな功績は、何と言ってもDAMAインターナショナルとの関係構築である。彼の人柄は国籍を問わず世界中のデータアーキテクトから親しみを持って受け入れられた。ベンコーエン(ERwin創始者)、シルバーストン(データモデルリソースBook著者)、ザックマン(EAフレームワーク)といった普通はお目にかかれない世界のトップアーキテクトの招聘もまた、彼の行動力の賜物である。
DAMAの活動では、私も2012年ADMC(Asian Data Management Conference)でTransaction Data Hub の事例を発表させていただいたり、リポジトリ分科会で後輩を指導してもらう等、お世話になりっぱなしであった。近年では、異なるNPO間での協調として、Eアジリティー協議会メンバーとしての活動や、IASAジャパンへのご協力など、彼の活動は、まったく年齢を感じさせない精力的なものだった。
こうしてみると、普段はあまり感じていなかったが、私にとって松本さんの存在はとても大きいものであった。企業や団体を超え、松本さんを通じて知り合った多くの方々は、私にとっての素晴らしい財産である。また、外部団体での多くの発表機会をいただけた事は、私のシステム設計開発における大きなモチベーションとなった。コマーシャリズムに囚われない真のNPOのあり方、決してブレない(頑固な)姿勢は大いに勉強になった。そして辛口な言動に反して持ち合わせる真の優しさは、人間的な魅力が溢れていた。松本さんの他界は日本企業のデータマネジメントにとって大きな損失であると今、実感する。データマネジメントの志を受け継いでゆくことが残された我々の使命である。