ゴールデンウイークが終わり、世の中は初夏の様相だ。
季節が変わり、仕事に趣味に打ち込める季節になってきている。
わたしは、5月末にはインドネシアで、ITアーキテクトの世界会議に出席し、6月は先月に引き続いて再びインドへ。その先もスケジュールが立て込んでいる。毎年、もっと余裕を持ってスケジューリングをしなければと思ってはいるが、世の中と同期を取っていくと、新たにやるべきことが次々と現われてくる。そんなものかと諦めて(なるようになるさ!)、流れに乗っていくことにした。
私の今年のゴールデンウイークは、東京を離れずのんびりと好きなことをした。ゴルフを7回楽しんだが、やりすぎたために、後半は、集中力を欠いたプレーになってしまった。やれば良いというものではない、という当たり前の教訓を得たわけであるが、一番印象に残る経験は、ゴールデンウイークの半ばにレ・ミゼラブル(レミゼ)を観劇したことだ。レミゼに300回以上出演している菊地まさはるさんのはからいで、妻と一緒に楽しんだ。今回は、ミュージカルで学んだことを書くことにする。
レミゼは、世界で何万回と演じられているが、私たちが観劇する舞台は、世の中でたった一回しかない貴重なものだということだ。
・時間と場所
・配役と観客
・演出も違えば、それぞれの役者や観客の理解も反応も違う
映画と舞台が大きく異なることは、その場しかない瞬間を、演じる側も観る側も共有することである。私は、演劇は創られるものだと理解している。
座る位置も重要だそうだ。舞台に向かってやや左側の席が最高の席だそうだ。なぜならば、人の視線は、一般的に左から右へと視野に入るものを追う。多くの人は右利きなので、舞台に向かってやや左目の位置にいると観やすい。また、舞台での演技の流れも右手から左手に引き、手仕舞う動作がどちらかといえば多いので、この位置が良いと言われている。
*右手、左手は欧米での表現で、舞台から客席に向かって、右手、左手というもの。日本では、客席から舞台に向かって、下手(左手側)、上手(右手側)という。したがって、上述の舞台での演技の流れも右手から左手に引きの意味は、舞台に向かって、左側から右側に流れる、という意味である。
ひいきの役者がいて、チケットを頼むと、なじみ客をできるだけ同じ位置に並べ、視線を同時に送ることができるようにすることがあるそうだ。観ると応える動作であるが、明らかにこの局面では、舞台も観客も一体となる。野球、テニス、サッカーなどのスポーツの世界も演劇のこの観ると応えるに似た一体感がある。スポーツにおいては、結果は決まっていない。演劇はストーリーのみが決まっていると解釈できる。子供のころ、ストーリーが決まっている芝居を何度も見る人がいるのが不思議だったが、今は、そうは思わない。
レミゼを観劇予定の方に、あらすじと代表曲をあらかじめ頭に入れてから観劇されることをお奨めする。題目にもよると思うが、時代背景や配役が複雑なので、前提知識がないと深く楽しめない。私は、4-5種類のレミゼのあらすじ、曲を頭に入れてから行った。どのシーンが見所であるとかをインターネット等で確認していくのも良いだろう。
レミゼは、一言で言えば、人間ドラマ(運命、人の情、悲しみ、喜び、エゴ、・・・)であり、人の本質をうたっている。人には、情があり、どうにもならないことがあるから「人は、ひとである」と訴えてくる。人は、ひとだからすばらしいとも語りかけてくる。
舞台に参加した人(役者も観客も)が、どのような経験をしているかで、どの配役に共感するか、誰を好きになるかも違ってくる。
近いうちにレミゼをもう一度、観に行く予定だ。
また、何かを発見できるに違いない。