職種・職業の語源はヨーロッパであり、Professと言う言葉が元になっている。信仰を告げるという意味が、様々な経緯を経て現在の職業という概念に発展したようである。プロ、あるいは、プロフェッショナルという言い方には馴染みがあるが、実はプロフェッションが正しいのである。プロフェッサー(教授)は、まさにこの言葉そのものである。
さて、プロフェッションという言葉が持つ意味は、信仰を告げるという最初の意味からどのような発展をとげて職業にたどり着いたのだろうか。調べてみると中世のイギリスでは、医師、教師、文官は、全て聖職者でなければならなかった。つまり、教会の僧侶たちが、現在のプロフェッション的な機能を支配し、その下で「職業」が決められていた。その後、13、4世紀以降の大学や商業ギルドの発展とともに、様々な「職業」が確立し、16世紀から19世紀にかけての職業団体設立という形で、最終的に教会の支配から「職業」が解放された。例えば、医師、薬剤師、弁護士、土木技師、建築家、保険数理士、会計士などのプロフェッションなどが、そういった解放された職業の代表である。
さて、プロフェッションは、ミラーソンという学者によると以下の6つの条件を満たすものとしている。
(G.Millerson, The Qualifying Association, Routeledge and Kegan Paul, 1964)
(1) 理論的知識にもとづいた技能を有する(体系的理論)
(2) 訓練と教育を必要とする(訓練)
(3) 試験により資格が与えられる(権威)
(4) 倫理綱領によりプロフェッションヘの忠誠は保たれる(倫理)
(5) 利他的サーピス、公共善の達成を目的とする(奉仕的方向づけ)
(6) 組織づけられている(団体)理論的
これらの条件は、いわゆるプロを名乗るあらゆる職業に共通していて、さらに私自身十分納得できるものである。
さて、ITのプロフェッショナルについて、照らし合わせてみよう。どの世界にでも技能だけ優れているだけで、プロとして通用すると勘違いしている人がいる。上記の条件によれば、客観的で、組織的な活動の一員であり、資格を与えられて初めて、プロフェッショナルと呼べるということが分かる。
単に経験にもとづく高い技能保持者というだけでは、本物のプロとはいえないということだ。また、公共善の達成を目的とすることも当然ながら大切だ。
以前から私が感じているところであるが、日本ではプロである自覚が乏しい。そもそもプロである自覚がなければ、プロフェッション(職能、あえてこのように訳す)は、成立しない。
16世紀から19世紀に確立し、長い歴史を有する医師や建築家などの職業と違い、新しい職業であるITの世界に働く人たちは、新しい職業であるがゆえに、いまだ明確な職業観が確立されず、多くの問題を抱えている。
ITのプロをいかに育成するかについては、基本中の基本に立ち戻って考え直すべきではないか、私はそう思う。