本来の意味は、自己満足のために行う善行(小善)が、それが善意から発したものであったとしても結果的に人をひどく傷つける大悪を生み出すことがある。また、それに対して、本気で相手のことを考えて行う善行(大善)は、時として厳しく、情け容赦のない態度(非情)と誤解されることがあるが、努力すれば次元の異なる良い結果を生むというものだ。
卑近な例を挙げれば、かわいいかわいいと子供のいいなりにものを与える親と、子供のことをよく考え厳しく育てる親の違いがそれにあたるだろう。この例は、本当に子供を育てるとはどういうことかを教えてくれている。
また、この言葉は、様々な分野での活動に、良い指針を与えてくれるものだと思う。教育は、もとより、医療や介護の分野、ものづくり、様々なサービス業、その他の事業で行われる提案を考えるうえで参考になる。
私は、IT業界を30年以上経験してきたが、この業界での営業活動やプロジェクト活動について以下のとおり考察してみた。
多くの営業行為は、ここで言う「小善」のスコープで行われていると、私は感じている。この結果は無理も無い。なぜならば顧客からの依頼の多くが「小善」を実現したいといったものに近いからだ。それを鵜呑みにして提案を考える。
一般的にどのお客様でもITに関する要求は、同時に多く存在する。この局面で、私は常に「その要求は、お客様の真の解決策に結びつくものであるか?」お客様の将来を見据えて深く考えることにしている。お客様のシステムは、長い間に小さな要求(小善)に答え続けた結果、スパゲッティ状態、ストーブパイプ状態になってきていることが多い。また、システムを維持している人たちのマインドも同時に守ることを是とし組織が形成されている。このような状況下で、お客様の要求にそのまま応えることが、本当に良い結果をもたらすかどうか、真剣に深く考察すべきである。お客様の望んでいることは、早く結果を出したいということであるが、長期的な視点、構造的な視点に立てば、ある時点で大改修かスクラップにしたほうが、今後起こる新たな要求に対処するためには適していることがよくある。目先の小善にこだわらず根本の課題に勇気を持って取り組まなければならない。こうした姿勢は往々にして「大善は、非情に似たり」といわれているように、当初は、非情なものに腹を括って取り組まなければならなくなり、大いに苦しむだろう。しかし、しぶとく努力を続ければ、やがて大きな利を生むことになる。
私が、言いたいことは、IT企業は、本当に、顧客の大善につながる提案をできているかどうかである。目先の金にまどわされた大悪に発展する小善の小手先の提案になっていないかどうか心配である。
殆どの営業活動は、お客様志向という名の下に、お客様の要求に応えるだけの小善の提案になっている。考えに考え抜いた「大善・非情」の提案ができる企業が増えなければ、業界の発展は望めない。
IT業界の提案は、すべてが善行(大善)で非情でなければならないはずなのだ。
そして、私は、今後も大善の実行者であり続ける。
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