私たちは、複雑で流れの見えにくい時代を生きている。さらには、国や言語、民族を超えた世界で協調し生きていかなければならない。このような、状況下で最も大切なことは何であろうか。
私は、今、頻繁に中国やインド、アジアの国々に出かけており、様々な異なった考えの人の意見を聞く。また、いろいろな立場の人の悩みも実感している。皆、成功のために真剣に悩んでいるのだ。世界中の誰もが、難しい時代を生きている。
私は、このようなことを考えるとき、いつも思い出すのは、哲学である。哲学と言っても難しく考える必要はない。私の場合は、ものごとの根源(もとになっているもの)は、何かということに焦点を当てる。そして、自分は、どうすべきかについて、自ら深く考える。自分の力で、納得できる結論を出す。人は、複雑な状況下で、はっきりとした判断を求められたとき、迷い、混乱する。混乱する理由は、判断する基準があいまいか、持っていないことが原因である。多くの場合、大変な場面だから、間違いたくないと考えるからだ。そして、決断しなくてはと焦っているので、なおさら、真面な考えが浮かばないだろう。私は、世の中が変化し、複雑になればなるほど、シンプルに考えなければならないと考えている。何を頼りにすればよいのだろう。
私は、真善美のバランスが、大切であると信じている。人は混乱すると解決のための「知」を探そうとする。判断や行動を失敗したくないので、対応できる「知」が、必要だと思う。「知」は、当然大切であり、私たちが受けた教育では、最も重視されてきた。知力を中心に学んできたといっても過言ではない。「善」である意志が、伴って初めて何かが起こる。意志(実践能力)が、生み出す力である。しかし、複雑な世界では、真と善だけでは、苦しさが増すばかりである。私たちの周りには、いろいろなことが起こるが、場面毎に混乱していたのでは、疲れるばかりである。判断の土台がない人、自分の経験のみでしか判断できない人は問題だ。真と善に加えて美(情)が、最も重要になると思う。情をもって心から良いと思うものを感じる取ることが、この先、一層重要になってくると私は、考えている。この様な考えででき上がった判断基準・価値観は、独りよがりでもいけないし、自分を外に置いて俯瞰的に判断する。そのような、生きる土台になる自分の哲学(心から良いと思うこと)をはっきりさせる努力をすることから始める。価値観や正義感などは、論理で考えるというよりも感性で、つまり、情で感じ取るものだ。
数学者の岡潔は、生きる規範として真善美を重要と考えた。この真善美は、日本文化になじむ考え方である。最後の美は、審美能力を指しているが、美がなければ、数学の世界で、良い仕事はできないと言い切っている。一見、数学は、論理の世界なのであるが、それを追求するのは人間で、人間が、能力を発揮するためには、美つまり、情が、重要で、人は、情があってこそ良い仕事をするといっている。
大辞泉によれば、真善美とは、「認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美。人間の理想としての普遍妥当な価値をいう。」とあるが、言い換えれば、知性(認識能力)、意志(実践能力)、感性( 審美能力)のバランスが、大切なのである。
現代社会は、ますます、複雑で、判断が困難になりつつある。このような状況で、知性だけ磨いても、すべてが見えるわけがない。やはり、情(感性)を磨くことが、より大切になると私は、思う。頭で考えるのではなく、腹落ちする考えが、本物だ。
本来の“人間らしさ”に戻ればよいのだ。