前回のメルマガで、プロジェクトの計画段階におけるマネジメントに関する研修において、私が講師を担当させていただいた研修における話題を題材として記載いたしました。
その話題とは、プロジェクト計画書をしっかりと作ったつもりでも、プロジェクトの目的は案外不明確であるということです。さらにプロジェクトマネジメントプロセスである「立上げ」⇒「計画」⇔「実行/監視・コントロール」⇒「終結」のうち、プロジェクト計画は「計画」段階であり、その上流プロセスである「立上げ」におけるIT構想・企画の重要性について触れました。
現実的な仕事の中では、「立上げ」と「計画」プロセスを同時に行なっている会社も多いかと思います。ただ「計画」プロセスとは、その実施目的がはっきりしているからこそ出来る計画立案です。よってプロセスを同時に行なっている場合でも、その仕事の内容を厳密に整理してみると、「計画」プロセスの前提となる『何のためにIT投資を行なうのか?、その投資対効果は?』などといったことを決める「立ち上げ」プロセスと「計画」プロセスを行なっているはずです。
ただ現実的には、「立上げ」プロセス、つまりIT構想・企画をきちんと行なえていない企業は多いと感じております。その一番の理由は、IT構想・企画を立案し、その実行責任を負う部署が不明確になっているためであると感じています。つまりIT投資の予算は業務部門が負担し、実際のシステム開発は、システム子会社かベンダーが行なう。しかし業務部門はITの専門家ではないため、ITの構想・企画を立案できない。一方でプロジェクト計画書も作成できない。よってその補佐的役割として、ユーザ企業内にある情報システム部門がその任を負う。しかし情報システム部門には、予算権限は無い。従ってプロジェクトにおいては、プロジェクトを推進する支援者・監査的な立場に留まってしまう。支援者・監査的な立場であるが故に、業務部門からの(無理な?)プロジェクトスケジュールに追われて対応することを強いられるため、結果的にスケジュールが遅延しないよう、妥協点を見出しながら体裁よくIT構想・企画やプロジェクト計画書を作成する、プロジェクト計画書を立案する。その結果、プロジェクトの目的が明確になっているようで明確になっていない内容になってしまうことがあると、私は見ております。
超大規模なプロジェクトでは、失敗した時のリスクが大きいことから、さすがに「立上げ」と「計画」プロセスを分けて実施しているケースは多いと感じています。しかし超大規模なプロジェクトは、こと国内を見ていると10~15年ぐらい前から比べると減ってきていると感じています。超大規模ではないプロジェクトにおいては、今でも上記のような「立上げ」と「計画」プロセスをごっちゃにしているケースは多いと感じています。
プロセスを明確に分けて実施した方が良いとは思います。しかしプロセスを明確に分けることは、プロジェクトの目的を明確にするための手段であって目的ではありません。大切なことは、企業のビジネス伸張に寄与するIT投資を適切に行なうために、IT構想・企画を会社目線で『なぜIT投資が必要なのか?(Why)』⇒『何でその目的を実現するのか?(What)』⇒『どのようにそのIT投資を実現するのか?(How)』を明確する。それが明確になれば、ステークホルダーにとって納得性が高いプロジェクトの目的が定義できるのだと考えております。
(追伸)
先日、大手Sierのマネージャーの方と「社員の人材育成」というテーマで話しをすることがありました。相手の方曰く「部下の1人に、インドの大手SierでSEとして勤務した経験があり、新規事業に貪欲で行動的な人がいる。自分の興味があることに対しては、極めて積極的に行動をするのだが、興味が無いことに対しては、極めて受身な態度をとる。よって周りの人は、その人と仕事をしたがらない。しかし会社として、マネージャーのミッションとして、部下の育成を重要な成果の1つに位置づけており放置できない。」とのことでした。
お悩みは、
・ 何も仕事をしない。
・ すべての仕事は受身で、しかも仕事の精度は低い。
という人よりは、はるかに企業にとって有益な人材かとは思う。しかし組織の統制を乱す人は、本当に育成する価値があるのか?
ということでした。
本当はそのような方は、クリエイティブで組織というたがにハマらない人なので、起業し、新たなビジネスを開拓するような人なのかもしれない。アップルのスティーブ・ジョブズのように・・・
その方が組織に属している限り、マネージャーは部下の育成に寄与し続ける必要はあります。しかしクリエイティブな人材を組織に留めておくことが、その人にとって、その企業にとって、その国にとって最も有効なことなのか?
そのようなことをバランスよく考えながら、また相談しながらマネージャーは部下のマネジメントを行なうべきではないか、そのような話しで盛り上がりました。