私が、30歳ぐらいの年齢になった頃、いくつかのプロジェクトを経験しシステムエンジニアとしての仕事をどのように行うかということが、徐々につかめて来た。ITの仕事の基礎や業務の理解の方法が分かり、ある程度の応用問題を解けるようになり仕事が、面白くなり始めた。また、顧客からは、ある程度の信頼をいただけるようになった時期でもある。仕事を任されるということは、楽しいこと、やりがいのあることだと感じた。少し自信もできてきた。しかし、この頃の私のレベルは、今から思い起こしてみると仕事の本質を理解しているわけではなかった。ただ、一生懸命やってできるようになってきたという程度である。仕事に哲学があるわけでもないし、本当に仕事を通してなりたい自分の明確なイメージがあったわけでもない。
先輩からは、どうせ何かをやるのであれば、業界で一番になることだとアドバイスもされたが、そんなことはできるはずが無いと考えていた。その頃の仕事は、自分の報酬を上げることが、優先事項で、夢の実現や生きがいと仕事がどうも結びつかなかった。むしろいわゆる出世を目標に仕事をしていたと思われる。
ところが、1985年に自分の運命を左右する決断をすることになった。海外で勝負することになってしまった。英国へITの最先端の方法論の勉強と日本での適用のために長期出張することになった。多少の英語はできたが、英国の文化や社会人としての振る舞いにも不安を抱きながらとにかく、行くことだけは決まった。決まってから腹をくくり覚悟したのだ。渡英した半年の間に最先端のIT組織、方法論、有能なコンサルタントとの出会い、日本人としては、厳しいワークショップ中心のITセミナーへの参加など消化しきれないほど多くのものを経験することになった。環境の劇的な変化と英国でのレベルの高い人や技術に出会うことで、今まで自分が判っていると思っていたことの勘違いや情けない思いなど様々なショックを受けた。プロの道は険しく、本気でまじめに粘り強く努力しなければならないと心底思ったのだ。結果として私の中でプロのITエンジニアやコンサルタントになるための殆どのきっかけが、この半年間の滞在中に凝縮されたのだ。いい意味でショックを受けることは、成長のきっかけになると私は考えている。運命なのかどうかは、分からないが、自分を真剣に見つめなおし自分の本当に望んでいる職業観が醸成されたといってよい。
私は、今、経営者として仕事をしているが、エンジニア魂を失ったわけではない。むしろ、近頃、この”魂”が、強くなってきているようだ。「人を中心に考えてこそ強いITが創れるのです」という経営理念も英国滞在中に生まれたものだ。誰にでも、一生のきっかけになるような出来事は、訪れるものだ。何かを強く望んでいれば、つかむチャンスは、必ず、誰にでも公平に現われると思う。本当に公平だ。問題は、常に、何かを求め続け、チャンスが来たときに見逃さずにつかめるかどうかである。出来るかどうか失敗するか成功するか悩むことは無用だ。
夢の実現に向けて強く熱意を持とう。世の中には、能力があるのにただ仕事をしているだけの人が多く居る。夢や目標を持って仕事をしているかどうかで大きく変ってくる。
人も仕事もすべて出会いから始まる。繰り返すが、問題は、拾えるかどうかである。運でもない、能力でもないとすれば、違いは、熱意しかない。