ドラッカーは、1946年に書いた「企業とは何か-その社会的使命」の中で、企業のマネジメントについて次のように述べている。重要なことは、正しいか、間違いかではない。うまくいくか、いかないかである。マネジメントとは、そのようなものである。また、マネジメントの値打ちについて、医療と同じように、うまくいくか、いかないかによって判断しなければならないとも言っている。流石ドラッカーだ。
私は、ドラッカーの使う比喩で、医療とマネジメントを比較している点は、分かりやすく納得できる説明だと思う。
ここで言う「経営のマネジメント」を、ITプロジェクトのマネジメントに置き換えて実態と照らし合わせてみることで、ITプロジェクトの問題を浮き彫りにできるだろう。例えば、ITプロジェクトの現場では、30年前と変わらず何が正しいかのために時間が浪費されている。
彼の最近の著書である「明日を支配するもの」(1999年)では、知識労働では、何を行うかが、第一の、しかも決定的な問題になる。知識労働では、いかに行うかは、何を行うかの後に来る問題であると言っている。一般的に言えば、プロジェクトを構成しているメンバーの多くは、いかにプロジェクトを行うかについての手段や技術について好きな人の集まりになりやすい。何を行うかに責任を持てる人は少ない。
ITプロジェクトで適用されている適切な方法論では、プロジェクトが、うまくいくための様々な工程と成果物、チェックポイントが定義されていて、上流の要件定義(何を行うか)が最も重要な工程であり、次の設計(どのように行うか)以降の工程へとつながっている。しかしながら、何をしたら良いかが分からないマネジメント層が、実際には多い。メンバーも何も考えようとしないのが現実だ。
さらにドラッカーは、「ポスト資本主義社会」(1993年)で、知識の生産性を上げるためには、結合することを学ばなければいけないと述べている。なぜならば、知っていることより知らないことのほうが多いので、知らざるものの体系化によって、価値を生み出す方法が重要になるということだ。結合するには、問題解決の方法論よりも問題定義の方法論が必須である。知識や情報の分析とともに、問題へどう取り組むかの方法がより重要である。まさに複雑で多様な現代のITプロジェクトは、このことで悩んでいるのではないか。
これらのドラッカーが経済や経営に対して明らかにした事柄は、そのまま、われわれが、苦しみながら取り組んでいるITプロジェクトの問題・課題に当てはまっている。
私は、あらためてドラッカーの偉大さに驚かざるを得ない。経営や知識社会に対する警告とヒントを与えてくれているからだ。
最後に、知識労働の生産性向上のために必要なことは、働く者(知識労働者)自身に、生産性向上の責任を持たせ、自らをマネジメントさせ、自立させることであり、イノベーションを継続させることだと言っている。
これらが、できるかどうかが、われわれの問題である。
皆さん、もう一度ドラッカー流にITの問題を定義してみよう。