昨日、某出版社の記者が訪ねてきた。
話題は、「PMの地位」についてだ。PMの地位がなかなか上がらないことは世の中の課題になっている。何かいい智恵は無いだろうかと私に意見を求めてきた。PMの本質を考える上で必要なことである。
PMという役割は、苦しい仕事をしている割には、見返りが少ないのだという。
若い人からは魅力的な役割に見えず、できれば、なりたくないと思われているようだ。
本当なのだろうか?
なぜ、このようなことになっているか一緒に考えてみた。
インセンティブを出したら改善するかもしれないと記者は言った。一理有るだろう。
しかし有効な手段ではないと私は思う。待遇に恵まれなくても目的意識だけで責任者を引き受けるのも酷だが、金や名誉だけでリーダーが務まるわけが無い。
このように待遇だけに重点を置いて対応をすれば、今より問題が深刻になると思う。
ましてや、世の中は、複雑化、流動化していて、プロジェクト活動の難易度が上がってきている。
このような状況下では、基礎に戻ってプロジェクトとは何か、リーダーとは何かを考え直すべきだと私は、考える。
今後は、より高いレベルのリーダーが、必要になる。
私は叫んだ。「本当にプロジェクトとは何か」その本質を理解した上で考えているのかと。
小手先の手段をあれこれ考察する前に、基礎に戻って本質的な問題を考えるべきだ。
簡単に言えば、プロジェクトの基礎概念の勉強がトップも管理者も足らないということだ。
プロジェクトとは、定常活動では達成できない高い目標と期限を先に約束した価値創造活動である。不確定な要素をリスクと呼びリスクを伴う先に期限や達成目標を約束する活動である。
このような活動の責任者がPMである。不確定な要素を含み、独自の価値をチームで智恵を絞って達成するからこそ意義があるのだ。簡単には達成しえない目標を、努力して達成するからこそ意義がある。
確かに実行責任者は重責で苦しいこともあるが、やり遂げれば、PMで無ければ味わえない楽しみと達成感がある。このことだけでも十分な価値があるが、さらに、自分自身が育つということである。人間的な成長は、金では買えない。また、一緒に釜の飯を食った仲間ができる。この仲間は、時には、一生の友人になることもある。
私自身が長く付き合っている友人の多くは、このプロジェクトでの仲間達だ。
プロジェクトのマイナス面だけ見て価値判断するのは、間違っている。
トップやマネジャは、「プロジェクトの本質と意義」を、後輩達に伝える義務がある。
私は、プロジェクトという言葉から「価値創造」「一緒に成長した友人達」「人間の成長」など良い面をいつも想像するようにしている。
肝心なことは、どんなことがあっても諦めずやり遂げることだ。やり遂げれば、得られるものは多い。
「プロジェクト」とは「生き方」である。