能登原
今現在は何に取り組んでいますか。
白石
4月に次長と課長と企画課というところと兼務していて、事業所全体がいま500人くらいいるんですけれど、事業所全体の事業経営や人材育成に取り組みはじめたところです。
能登原
それはまた挑戦的で面白そうな仕事ですね。ところで白石さんと一緒に仕事をしている営業さんや部下の方は皆、楽しそうですね。チームワークがいいのかな。
白石
いやあ、文句ばっか言ってますよ。
能登原
でも、その文句の言い方が楽しそうですよ。
白石
確かに自分の部下には「文句を言ってくれ」とはいつも言ってますね。この間、他のシステムの連中と仕事をしたら、文句を言わずに黙々とやる。
能登原
不気味ですね(笑)
白石
で、できるのかというとちょっとね。抵抗はしないんだけど…
能登原
白石さんの部下の方は、文句は言うけれど、言ったことはきちんとやりますものね。
白石
もう一つ。この間関わったのはシステムぼろぼろで、みんな気持ちが死んでましてね。そこでまず実現可能工程とか体制を作ることから始めました。そうすると少しホッとして笑い始めます。まず、そういう気持ちになってもらうことですね。でも手のつけられないほど陳腐化しているシステムなので、みんなそこでまた嫌になってしまう。そこで新規の開発計画を立てようと。「これは捨てよう。これはもう売らない。でもこれをやったノウハウがあるから、それでもう一度やり直そう」って。
能登原
白石さんはいま、部門のたくさんのプロジェクト全体の面倒を見なければいけない立場ですから、大変ですね。
白石
でも、だんだん現場が見えなくなるのではと不安です。現場に行けないのがつらくなってきました。この頃、お金の話とか、人事とかばかりで、今まで一緒にやってきたつながりがある人たちはまだ分かるんですけれど、新しい人はわからないです。そこで判断を間違ってかわいそうな思いをさせたくないです。だからなるべく自分と関係のない人、部の中にいて一緒にやったことのない人と話をするようにしてます。 私たちの横に、ITバブルの去年から今年にかけてのロスコンがあるんです。ロスしたプロジェクトは適切な人材をおいていない。特にプロジェクトマネジャ、プロジェクトリーダーが問題です。開発のリーダーだけれどどちらかというとおとなしめのコツコツやるタイプの人が、いきなりお客様の前に出て「プロマネやれ」って言われたら、できないんですよね。背負うものが大きいわけですから、そうすると精神的に参ってしまう。しかも地方に一人で行く。疲弊しないほうがおかしい。
能登原
白石さんのところのようなメーカーのプロマネはとても大変ですよ。若くてやらされるとなおさらですよね。
白石
ITバブルのころはお客様もお金を持っているので、要求分析もほとんどない。「一行が一億」みたいな。人を育てていなくて、いきなりそんな大きいシステムをやるのは無謀です。僕はやめたほうがいいと言っていたんです。「人もいないのに、これ以上誰がやるの」と。でも当時は外注を集めてやるのが流行ったんですよ。いま内製といっていますが、失われた何年かは大きいです。いいソフトハウスは継続的に人を採っていて新陳代謝があるんですけれども、やはりそれなりの年齢構成で、いろいろな人がいるようでないと面白くないです。
能登原
大変でしたね。
白石
まあ、苦労はいろいろありましたけれど、最後に開発方法論に携われてよかったと思いますよ。こうやればうまくいくんだと。もっと早くやれればよかったですが。
能登原
白石さんもすばらしいプロジェクトマネジャですが、下にいる人たちもすごい。30 代でサブリーダーだった人が、今回のプロジェクトでものすごく成長していますよね。事前の準備にも一緒に入っているし、非常に厳しいプロジェクトをOJTで経験しているのでぐんぐん成長されている。今度はそういう方が白石さんの後を継いで、ちょっと大きいプロジェクトをひとりでやっていけるようになりつつある。
白石
ITIさんのような外部のコンサルを受けたいと言い出したのは部下の方で、もともとこれから始まるプロジェクトがでかすぎるから、何とかコントロールしなければならないという気持ちはあったんです(笑)。林さんが来たころは、どんな人なんだろうと半信半疑でした。
能登原
そうだったんですか(笑)
白石
会ってもなかなか話が合わなくて。なぜかというと林さんのレベルとわれわれのレベルに差がありすぎたんです。当時は「コンサルだから答えを持っているだろう。僕たちが課題を言えば、すぐこうしたほうがいいと言ってくれる」と思っていたんです。最初はなんかはっきりしたことを言ってくれない。何なんだと…。何回か毎週話し合っているうちに、それは自分で考えなければいけないということで、「こういうやり方もあるんだよ」とコーチングしてくれているんだな、というのがわかってきました。自分たちもあるレベルに達しないといけないんだ、とわかってからはグーっといったんですが、最初は「大丈夫なんだろうか?」と思いましたね。
能登原
なるほど、そういう経緯があったんですね。でもそれをきちんと受け入れていただけるカルチャーがあったということですね。
白石
インフラ開発があって業務開発があると、インフラ開発のほうはメーカー側が誘導していく形なのでプロジェクトマネジメントがなくてもある程度行けるんですよ。ところが業務はお客様のほうが主導で、そこをきちんとマネジメントするのが大変です。開発方法論やテスト方法論など、能登原さんと一緒に作っていったものを守っていったことによって、現時点でもほとんど障害がないんですよ。JAVAのフレームワークで構造設計していることもあるんですが、いいルールを作ってちゃんとやれば品質の高いものができるんだなと実感しました。
能登原
標準が最初にあったのは非常によかったと思うし、特に大きいプロジェクトだったので、それを浸透させるための情報共有の仕組みを作ったりしたのがすごくよかった。
白石
Promane.com買いましたよ(笑)。ちょうどコンセプト説明があったので「これいいじゃないか!」といって。うちだけでも最高で500人くらいになりましたから。そのなかで標準化事項ですとか、途中でフレームワークの構造を変えなければいけないこともあったんで、その説明をするために、そこにサンプルや設計書を置いたりしてよく使いました。プロジェクト管理の要領もそこに置いて「勉強したい人は勉強してくれ」みたいな感じで。いま、うちの部のほとんどのプロジェクトはPromane.comを使っています。ちょっと宣伝になっちゃいましたが(笑)スキル診断も使ってます。当時センター長を含めた100人くらいのスキル診断をしました。本当は教育アップをするために使うはずだったんですけど、教育費がなくなっちゃって。
能登原
目の届かない人の状況を見ることができるツールですから。皆さん忙しく全国を飛び回っているので、なかなか全員に会うことができないでしょ。
白石
お客様も社内用スキル診断を作りたい、ということで一緒にやってもらいましたね。それと私自身が開発方法論策定部隊と仲がいいんで、ITIさんにプロジェクト管理もやってもらいました。後は要求分析定義でしたっけ、そういう基本設計の前段の方法論がなかったので、それを作ろうと。そこで能登原さんには逃げられちゃったけど。
能登原
逃げたわけじゃありませんよ(笑)
白石
それをやって、去年はバックエンド系システムのプロジェクト管理を一般向けにしようということでその拡大検討をしています。今年は品質評価ですから、ついにここまで来たかという感じです。
能登原
もうITIからは学ぶものはなくなったんじゃないでしょうか(笑)
白石
いやいや(笑)。いろいろ反省点はあるんですよ。ITIさんに入ってもらってJAVAで再開発するときに開発方法論をいろいろ準備したんですけれども、要員の計画崩れをしてしまって。僕としてはこの外注でこれだけの要員がほしいというのがあったんですけれども、横のロスコンに僕の予定していた人間をどんどんとられてしまった。開発方法論をやっても、マネジメントやレビューチェックできる人数が必要なのですが、それができなかった。外注の種類も少ないほうがいい。もっといっぱい人を割かなければいけなかったんですね。それは自分たちの課だけではできないんで、もっと事業所の中での実力を念頭に置きながら、どれをとっていくべきか考えないとマズイかなと思っています。そこまで考えないと現場に行かせる人間が伸びないですよね、疲れちゃって。みんな「何が悪いんだろうか」という話をするんです。やはり計画ですよね。計画段階の見積もりが甘かったとか、要員手配が甘かったとか…能登原さんがご存知のようにね。
能登原
このプロジェクトも規模が大きかったから、けっこうつらい時期がありましたよね。でもまあなんとかなりました。そんなに悲惨な状態にはなりませんでしたよ。
白石
僕の気持ちとしてはプロジェクト計画のときに、昔のプロプライエタリな開発方法論ではないし、やればどこでも通用するコンポーネント開発なんだから、しかも国内最大規模だし完成すれば一つの財産になるから絶対にやりきろうと。外注さんにも「ここで培ったやり方はどこでも通用するから、それをもって安くしてね」といったけど。「たぶん構造化設計していれば後半は楽になる」と信じて、前半苦労してやったわけですが、それがよかったですね。やっぱり計画ですよね。いまのメンバーがプロジェクト管理報告書をまとめています。
能登原
最後にプロジェクト管理にはなにが一番大切ですか。
白石
実家には「忠恕」という言葉が飾ってあるんですけれど、いたわりとか思いやりとかいう意味なんですよ。死んだおやじが好きだったんです。上杉鷹山とおなじですよ。「思いやり」、結局はやはりそこだと思います。 ただ、これはPJを経験したから成長するものではないと思います。多分、家庭や学生時代に培うものではないでしょうか。自分も偉そうなことはいえないんですが。 私の技術の原点はお付き合い頂いたお客様にあって、コンピテンシーの原点は学生時代特に鎌倉高校時代にあると。この付き合いはこれからもずっと大切にしてきたいです。
能登原
どうもありがとうございました。