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白石 俊介さん(4) 三菱電機株式会社 神戸製作所/湘南 社会システム第一部 次長


白石 俊介さん白石 俊介(しらいし しゅんすけ)さん
三菱電機株式会社 神戸製作所/湘南
社会システム第一部 次長
約7000KSTEPのJAVAオブジェクト指向開発プロ ジェクトを成功に導いたスーパー・プロマネ。
1959年生まれ。電気通信大学大学院(情報数理工学)修了。1985年に三菱電機株式会社入社。

先輩に鍛えられ、お客さまに育てられる

白石俊介さん

能登原
今の白石さんは非常にたくさんの部下をお持ちです。アイ・ティ・イノベーションと同じくらいの数の部下を(笑)。

白石
うちの課は20人で、部では百数十名です。

能登原
外注さんだけのときと、社員がたくさん部下についたときのプロマネは変わりましたか。

白石
自分が若くて、まだ友達感覚のときには差はないと思うんです。でも評価するとか、育てるというところまで考えると、やはり違いは出ますね。もちろん外注さんのこともキャリアアップさせたいと思ってやってきました。開発からいきなりプロマネにはいけないし、開発だけやりたいという人もいるので、それはよく話し合ってきたつもりです。 僕のモットーとして、「若い人をあまり取捨選択せずに、適材適所を見つけたい」と思っていました。運がよかったのかもしれませんが、うちのメンバーにはへんなのはいなかったです。

能登原
基本的に優秀な方が多いです。

白石
三菱電機に入る人はおとなしいですが真面目な人間が多いです。「一発当てよう」というのは少なくて、組織協調志向ですね。 ちょうどオープン化に向かうときは、うちの課のみんながうまく目的を持てた。いい仕事にめぐり合えたということが彼らを成長させたんですね。

能登原
それは非常に大切ですね。もちろん、運不運もあるんでしょうけれど。

白石さんは最初のころからひとりでやられていたんで、ある意味最初からリーダーだったんですね。スケジュールも仕様も決めて。白石さんの前の上司の方もすばらしい方だったですから、その影響も受けていると思いますが。

白石
先輩には恵まれましたね。でも私は入ったときから、怒られてましたね。まあ入ったばかりで何も考えていなかったからでしょうけど。怖い人ばっかりでした。最近は誰も怒らないけど。僕がちょこっと怒るくらいで(笑)。

能登原
新入社員時代なんて、大抵は何も考えてませんよ(笑)。でもそこにはすごい馬力のあるマネジャがいらっしゃたとお伺いしました。

白石
そうですね。馬力満々の人でした。

能登原
その馬力を白石さんも受け継いで…

白石
いや、全然違うと思います。

能登原
でも似てますよ…(笑)。

白石
戦略を考えていたのは先輩でした。また、すごい突き放し方でしたね。自分でやれよと。

能登原
千尋の谷に突き落とされた。

白石
一年目に初めての現場に行くというときに「おまえ行ってこい」って先輩に言われて、一人で行くと、お客さんに「これは違う」とかいろいろ言われて先輩にSOSの電話をすると、「自分で考えろっ!」とバーンと切られて(笑)…あれはいまでも覚えてますよ。でも自分で考えろっていわれてもねえ。先輩は非常に開拓精神がある方ですから、91年ごろからもう他を開拓に行ってしまいました。入社したとき先輩に「おれのところは傍流だけど。でも絶対にトップになって見せるからな」と言われたのが印象的でしたね。その当時、僕らは会社では傍流だったんです(笑)。

能登原
やはり先輩方のとてもいい影響があったと思いますよ。

白石
そうですね。若いときには与えられた仕事をきちんとやり遂げるのがひとつの成果だと思ってましたけど、係長や課長になれば、それは当然で、なおかつ次の仕事も考えますから活動が違ってくるんですよね。

僕はよく言っているんですけれど、次の仕事をやるためにはただボーっと仕事をしているんじゃなくて、対面のお客さんと「次はどんな事業をするのか」「どう成長するか」という話をして「それを一緒にやりたい」とか、「次にどんな技術が必要なのか」と、自分なりにがんばって考えて話すようにしないとだめだと。そうすれば今やっている仕事も円滑に回るし、具体的にどうするかという話もできる。そしてなにより仲間ができる。仲間を作らなければ成長はないよ、と。いわゆる使い回される人間になりたくなければ、自分で次の仕事を生んでいくことをしていかないとつまらないんじゃないかという話をさせてもらっています。

能登原
他人に使われてやらされるのか、主体的に仕事を作っていくのかということですね。白石さんは若いころからそう考えていたのですか?

白石
87年に提案書を書いていたからということもあると思います。そのときはお客様内での当社のシェアが今ほどなくて、点みたいなところでやっていましたから「何とか仕事を広げなきゃ」とそればっかり考えていたんですよ。

能登原
開拓営業していかなければいけない。

白石
そうです、そういう役割です。大掛かりなバックエンド系システムが終わったあとは何もないぺんぺん草でした。お客様もわれわれもお金を使ったし。 よかったのは、お客様にすごい思想家がいたことです。

能登原
お客様に育てられる部分はありますよね。

白石
例のきついバックエンド系システムのときに知り合った方がそうでした。開発方法論を作らせてもらったのはその方のおかげです。90年頃にプロジェクト標準とか、簡易作成ツールを作っていたのを認めてくれたからなんですね。「俊ちゃん俊ちゃん」といわれて可愛がってもらいました。最初は怒られっぱなしで「怖い人だなー」と思っていたんですが。

先輩とも仲が良くて、僕が入社したときからその方がいらしたということもあります。、バックエンド系システムで構想をした方もずっと一緒にやらせていただいて、「システムのこういう問題点を次は直してね」と会うたびにいわれるから、何とかしなきゃと。今度こそ、前のような迷惑をかけないようにと思いましたね。そういう激励もありましたし、プレッシャーもかけられました。私も含めて、みんなでそれに応えていきましたしね。

これ以降運開延期はないです。致命的な障害もなかったです。もしあったらメンバーでこれだけ広げられなかったですよ。インフラも99年のオープン化からは約2万台のパソコンでやってるんです。これが出来たとき、最初のシステムのときにかかわったお客様に非常に喜ばれた。それでやっと義理が果たせた感じです。最近ではハードを変えるごとに処理スピードがどんどん上がって今はすごいですよ。「しばらくお待ちください」のエコーが速すぎて見えない(笑)。

能登原
それはすごい(笑)

白石
私より若い方々にもお世話になっています。その方々は会社に初めてSEとして採用されて入ってきた人たちで夢をお持ちでした。一緒に話し合って、いいものを作りたいと。お互いに切磋琢磨しながら、一生懸命稟議書を書かれていました。「JAVAをやりたい」というのもあるとき話し合った中で出てきたんです。JAVAを基幹システムの中に入れるにはどういう順番で、どうやっていったらいいのかと、話し合いながらやれたんですよ。いい方々に恵まれました。ほんとうにお客様に育ててもらってます。

メーカエゴからの脱却

白石俊介さん

能登原
それではいよいよオープン化についてうかがいましょう。

白石
お客様は当然オープン化を望むわけですが、メーカーとしてはプロプライエタリの世界にいたほうが売り上げがいいわけです。そこからの脱却は、営業も含めて「どうしたら利益を保ちながらオープン化できるか」という模索でした。

三菱電機の立場としては、自社の製品をちりばめたいわけですよ。そうしたらずっと一緒にやっていたお客様から「われわれのためのシステムを作るんだから、こちらの立場になって考えてください」といわれ、「わかりました世の中で一番いいものを選びましょう、その代わり、私たちにまとめのSI屋をやらせてください」と。そこで変わりました。だからインフラには三菱電機の製品が入っていません。

能登原
なるほど。社内的にはかなり抵抗がありませんでしたか?

白石
大変でしたよ。オフコンの中にサーバを突っ込めとかね、むちゃくちゃな話が。でもある程度時代の流れというのはあるわけで、それに逆らうのはできないな、と思いましたね。悔しいけれど勝てる商品がないならあきらめなければならない。でも辛かったです。ハードや保守がなくなると利益がなくなっちゃう。でも「じゃあどこで利益を得るか」を必死に考えましたね。

能登原
それはビジネス上大切なことです。

白石
もうSIやるかアプリケーション開発やるしかない。SIは技術力でアプリケーション開発は生産性ですよね。それを二つ追及しないと勝てない。ということで両方やってきたんですけれど、これからが大変ですね。これからまた次の段階のオープン化でしょうね。一番気にしているのはアプリケーションの生産性ですね。

能登原
それはお客様にもよるから難しいですね。

白石
見積もりをどうするのか、要求仕様をどれだけ明確にするかですね。今も出身母体が違う人たちが集まってチームを作っているんだけれど、何とかシナジー効果を出したい。マップも作ったんですが、「ああ、こうだったんだ」というのはわかったんですが、どこが売れるのか。これから先はなかなか大変です。

能登原
ユーザー企業さんがIT資産管理を徹底し始めていますしね。投資が減るときついですよね。でも、白石さんはプロマネとしても巨大プロジェクトを仕切り、またアカウントSEとして戦略的なことにも手が打てる。単なるプロマネではなく、ビジネスをプロデュースできる。

白石
支社の営業マンと製販一体でやれたのがよかったと思いますよ。営業マンとお互いに切磋琢磨して。もともと支社の部長が戦略的な方でした。営業戦略をきちんと立てるベースを作った。そこで何人かの若い営業マンが、その伝統を引き継いで一緒にやれたことは大きかったです。私も自分で全部考えたわけではなく、お互いに感化されているわけです。営業マンも技術を勉強するし。能登原さんには2年くらい前、我々の事業部のIT戦略を評価してもらいました。

能登原
事業を伸ばすということになると、売り上げを上げなければならない、開発の生産性を上げて原価を下げて利幅を増やさなければならない。そのためにどういう手を打つか、全部戦略的に考えなければいけないですからね。

白石
バックエンド系システムが終わったときに、時間的に余裕ができたので「これだけのものを作ったからにはどうするか」を勉強しました。毎年夏過ぎにお客様に来年度の提案をするためにファミリートレーニングというのをやって、みんな合宿所に集めて、それまでの一年間の反省と今後どうするかをベクトル合わせみたいなことをやるんです。営業はそこで営業戦略を述べるし、我々は技術戦略で「これを伸ばして行きたい」という話をするんです。合宿して。でもいまは人数が増えちゃって。最初は10人くらいだったんですけれど、一時30人くらいに増えて、営業も合わせて50人くらいになっちゃって。でも、そうするとダメですね、ファミリーじゃなくなる。カンパニートレーニングになってしまう。

能登原
そこまで行くと単なるアカウントマネジメントではなくて、事業経営ですよね。

白石
いま反省しているんです。一区切りしたので。

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能登原 伸二
■株式会社アイ・ティ・イノベーション 取締役 兼 専務執行役員 ■株式会社ジャパンエナジーの情報システム部門において、長年、情報システムの企画、開発、運用までの幅広い業務に携わり、ITによる業務改革、収益向上を支援してきた。また、その実務を経験する中で、システム開発における開発方法面の必要性を認識し、C/S向け開発方法論の制定、導入を推進。常に顧客と共に考え、行動し、成果を上げることをモットーとしている。

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