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白石 俊介さん(2) 三菱電機株式会社 神戸製作所/湘南 社会システム第一部 次長


白石 俊介さん白石 俊介(しらいし しゅんすけ)さん
三菱電機株式会社 神戸製作所/湘南
社会システム第一部 次長
約7000KSTEPのJAVAオブジェクト指向開発プロ ジェクトを成功に導いたスーパー・プロマネ。
1959年生まれ。電気通信大学大学院(情報数理工学)修了。1985年に三菱電機株式会社入社。

本当は数学の先生になりたかった

白石 俊介さん

能登原
前回は三菱電機での仕事歴・プロジェクト歴をお聞きしましたが、白石さんが入社前にやりたいとイメージしていた通りでしたか?

白石
じつはSEになりたくなかったんですよ(笑)。学科は情報数理工学でコンピュータですが、私はいやで物理数学を専攻してました。本当は高校の先生になる予定だったんです。ところが面接でけんかになったんです。

個人面接の相手が校長か教頭で「高校の先生になったら高校の数学をきちんと教えなければならないんだ」というから、「そんなの無理でしょう。分数ができない人に微積分を教えてもしようがないから、生活に必要最低限の数学を教えればいいし、学校の勉強だけでなくもっと総合的に見るべきだ」といったら、「それじゃ困るんだ」というから「じゃあ、あなたは何人卒業させたんですか」「何万人も」「その人がみんな高校の数学を理解したんですか、そんなことないでしょ」と啖呵きっちゃった(笑)。で、12月に落ちたんです。

能登原
12月から就職活動じゃ大変だ。

白石
三菱電機が拾ってくれました。

能登原
そのときはSE職として入ったんですね。

白石
動機が不純で、そのときまだ学生だった嫁さんのでそばにいたい。三菱電機は関西系なんですよね。こちらにあるのは鎌倉のコンピュータか電気ディバイス系だけで、鎌倉に残るには何が何でもコンピュータをやらなきゃいけないわけです。しかも数学専攻ならSEだという決まりがある。いやだったけれど、「やります」ということになった。

入ったときには今やっているような「ビジネス系のSEなんかもってのほかだ」と思っていて、列車運行管理なんかをやりたかったんですが、そういうのは神戸でやるというんです。

能登原
鎌倉に残るためにはOAをやるしかなかったのですね。

白石
やってみたらOAをやる人は、若手で和気藹々とやれたんです。でもいきなり客先にやられて、お客さんとどう接していいのかわからなかったです。

能登原
でもほかの会社さんもそれに近いですよ。きつかったですか?

白石
きつかったですよ。すでに開発しているシステムのテスト段階で行きましたから、何にもわからない人間なんか誰も相手にしてくれない。仕方がないからプリンターの印刷の棒がずれていないか(笑)とか、自分で仕事を見つけるしかない。ところがお客さんは僕が三菱電機の人間だから質問してくる。ぜんぜんわからないじゃないですか。しようがないから勉強しますよね。それでなんとか。

能登原
そういう時代でしたからね。それだけに、白石さんがきちんと基盤を作って組織力を出すマネジメントをしなければいけないと思うようになったのかもしれません。 いやいやSEになって、どこかでやっていけるなと自信がついた時期があるんじゃないかと思うんですが、気持ちが切り替わったのはどのへんですか。

白石
2年目に携帯ハンディ無線のシステムをやっていたころは、完全に僕一人だったんですよ。お客さまも現場の年配の方で、僕が若造にもかかわらず一生懸命対応してくれる。これは三菱電機としても自分としても恥ずかしくないことをしなければいけないんだなと。お客さんに応えられたかどうかは、いまから振り返ると疑問ですけれど、精いっぱいやって喜ばれたいと思ってましたね。

とにかくそのころは夢中でしたから。 マネジメントの大切さは最初の1,2年目はわからなかったです。前回もお話した一年延期となったバックエンド系システムの苦労があってからです。

プロマネの必要性を痛感した苦しいプロジェクト

能登原
今までで一番苦労したのはやはりそこですか?

白石
そうですね。まず社内を動かすのにすごく時間がかかった。まだWindowsがない時代ですから、お客さまが望んでいたことをみんなが理解できないんですよ。お客さんに聞くと自分の会社のシステムを見て来いと。だから社内に「どうなっているんですか?」とヒアリングに行くとか、バックグラウンド作りがたいへんで時間はどんどんなくなる。プロト開発はとにかく突貫工事で「1ヶ月で作れ」といわれて2交代です。ちょうど新婚時代でしたから最悪ですよね。彼女が出かけるときに帰ってきて、帰って来たころに出て行く。

能登原
家庭も2交代になっていたと。

白石
インフラも、開発するマクロ言語、通信のインターフェースも全部同時に作っている。それらを利用して業務ソフトを作っていかなければならない僕らは、理解するために膨大な資料を読みました。でも、業務仕様をすべて理解しているわけではないので、「どうしてつながらないんだ」とか…嫌われ者だったですね。要求仕様変更書を出して、いろいろな部とのコーディネートをし「正しい仕様はなんだ」を探るのに疲れました。それなのに、ようやく作ったら動かない。いまでいうとExcelのシートとシートをコピーするのに1時間かかったんです。一番最初は1+1=2という計算に20分かかった。

能登原
今となれば笑い話ですよねえ。

白石
「この問題を解けばだいたいできるだろう」という26項目を僕が作って、その26項目が作れて性能を理解すれば全体システムは動くだろうと。ところが動かないんです。全然。仕様もどんどん変わってくる。「こう作れ」っていうからみんなにそうコーディングさせているのに、「すみません、関数の仕様変えました」っていうわけ。こっちが主導で取りに行くというのと、向こうが主導で上げるという2方式があって、どっちをコントロールすればいいのだろうかと。古い話ですけど。

能登原
それってコンカレント・エンジニアリングじゃないですか。そのとき方法論やプロジェクトマネジメントはどうされていたんですか?

白石
教本はあるんですが実践向きでなくて。

能登原
スケジュールは?

白石
スケジュールはありましたよ。

能登原
その時はどのくらいの人数でやっていたんですか。

白石
500〜600人いたんでしょうね。オフコンはオフコン部隊がこのシステム用にチューンナップするし、パソコンもそれ用に作るし、周辺機器のプリンターも共同開発し、OSI通信やエミュレータも他社に開示してもらったりとか、方式統轄部、オフコン部、パソコン部全部出てきて、開発計画に全部載せちゃった。結果として社内標準開発になっちゃったんですね。

能登原
ユーザーさんの開発をきっかけに、それに合わせて商品も作ってしまおうと。それでは終わったら相当商品は充実していたでしょう?

白石
ハードはよかったんだけど、ソフトがね。端末がOS/2だったんですよ。88年当時はMS-DOSの次はOS/2だと思ってましたからね。ところがWindowsにいっちゃった。オープン化に行きたい、と思い始めたんです。

話は前後しますが、あとで業務をそれでどんどん開発しようとしたときに生産性がでないんですよ。一つの業務を全部動かすのに5時間くらいかかった。テストのとき「あ、データ間違えました」といわれるとその時間待たなきゃいけない。それで「ツールを作らないとみんな倒れちゃう」と切実に思った。だって、みんな辞めたがっているわけですよ、会社を。

能登原
それはけして極端じゃない表現ですね。

白石
名古屋の外注さんのところでやっていたんですけれど、ボタンを押したら1時間暇で、たばこ吸ったりしている。次は何をやろうか考えていると、みんなが「これ2000分の1ですよね。これあと2000回やるんですか?」って。「今日は何時間寝た?」という話になって、これじゃやってられないから、運開延期してほしいという流れになりました。それで運開延期して、やはりお客さまも標準化を入れようとかね。社内を止めた1ヶ月で真面目に全部やり直して、プロジェクト管理したんです。残り1年間は非常に粛々とやっていきました。ただやっぱりもぬけの殻というか、魂が抜けているというか…

もちろんその1年間は工数計算もして無理のないようにしているんで9時くらいには帰れたんですよ。でも情熱がない。黙々とやっている。運開したときも全然嬉しくなかった。ほんとに疲れてましたね。

能登原
80年代くらいはそんな感じですよね。オープン化のときにも各社いっぱい失敗しましたし。白石さんは常に新しい技術の一番手をやっている。

白石
そうしないと勝てないんですよ。他社の商品がでる前に「いいのありますよ」っていって(笑)。

能登原
白石さんはプロジェクトマネジャとしても非常に優秀ですが、一方で、お客さまのアカウントマネジャとしてより戦略的ですよね。5年くらいのスパンで考えて、もう次の種を蒔かれてるでしょ。そこがすばらしいですね。プロジェクトが難しくなってくると、なかなか他のことを考えられないものですが、他のことも平行してできるし。とにかくこの苦しかったプロジェクトがいまの白石さんの問題意識のベースになっているようですね。

白石
ベースはそこにあると思います。

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能登原 伸二
■株式会社アイ・ティ・イノベーション 取締役 兼 専務執行役員 ■株式会社ジャパンエナジーの情報システム部門において、長年、情報システムの企画、開発、運用までの幅広い業務に携わり、ITによる業務改革、収益向上を支援してきた。また、その実務を経験する中で、システム開発における開発方法面の必要性を認識し、C/S向け開発方法論の制定、導入を推進。常に顧客と共に考え、行動し、成果を上げることをモットーとしている。

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