皆さん、これから2,3回に渡って、ヨーロッパとアメリカで私が関わったさまざまな会社、そこで学んだ技術、さらに自社での技術開発の歴史についてを紹介していこうと思います。今回は80年代から90年までを紹介します。
私の方法論履歴書 その1
< 1984 ~ 1988 BIS社(英国) >
システム化方法論MODUS
IPSE(統合化プロジェクト支援環境)
ABM(自動化ビジネスモデル)
テンプレートの構築技術
前回のエッセイでも書きましたが、80年代の英国のシステム化方法論に関する技術水準は非常に高く、多くの事を学ぶ事ができました。特に、MODUS(モーダスと呼びます。“modus”という言葉は、“手法、方法、手口”の意味です)は、DOAのモデルベース開発の初期調査、フィージビリティスタディから導入後レビューまでのライフサイクル全体をカバーする方法論で、弊社で最近力を入れているプロジェクト管理手法やパッケージ選択、RADなどの手順を含んでいます。
アイ・ティ・イノベーションでは、この、MODUSやSSADM(英国政府標準)、DSDM(ヨーロッパを中心に活動しているRADのコンソーシアムが提唱しているRADガイドライン)、ジェームス・マーチンのIEなどを応用して、最適な開発プロセスをお客様に提供しています。
80年代中盤から、BIS社は、CASEツールの開発・商品化を試みていました。(当時は、CASEという言葉はなく、IPSEと呼んでいた。日本語でイプシー)IPSEは、Integrated Project Support Environmentの略号で、後に、CASEのフレームワークとなるPCTEなどのリポジトリー技術へ影響を与えました。
また、BIS社は、このIPSE上にビジネスモデルからシステム設計仕様までを一貫して管理できるABM(Automated Business Model)の製品化を行いました。私は、この技術を引き継ぎ、日本に持ち帰り、アプリケーションモデルの開発を試みたのです。
日本において、日本版IPSEを開発し、IPSE上に、大手製造会社の販売管理、会計の全業務モデルのデータ化を行いました。さらに、この自動化されたビジネスモデルを用いて、アプリケーションジェネレータであるサイノンによりシステム開発を実施しました。当時は今に比べて開発環境に利用できるコンピュータの性能には制約がありましたが、100万ステップ以上の規模のこのプロジェクトは、成功裏に終了し、現在に至るまで度重なる改良にもスラム化せず順調に稼動し続けています。
日本語版IPSEの開発は、私の強い思い入れもあり、多くの資源を投入して2-3年間に渡って行いました。その結果、製品は完成しましたが、商品化には失敗しました。世の中のニーズや水準に対して時期的に早すぎた製品であった事、UNIXをサーバーとしたアキテクチャ上の課題を乗り越えられなかった事等が大きな反省点です。今思えば、日本語版の検討段階からWINDOWS仕様として開発すべきでした。しかし、ここ10年間でこれほどPCが会社ばかりでなく、社会全体にまで広く普及・進歩するとは、まったく驚きです。
とにかく、CASEツールの開発に関しては、当時の会社には金銭的な迷惑をかけましたが、私自身にとっては大いに勉強になりました。製品化に対する期待をしてくれ、多大な投資をしてくれた会社に本当に感謝しています。この時経験した製品開発の難しさ、開発した製品を改善しつづける辛抱強さ、CASEツールの詳細のアーキテクチャモデルやシステムに対する期待とユーザーが実際に使用できる事とのギャップなどが、今の当社の製品評価技術の基礎となっています。
90年代になってからIPSEと殆ど同じ発想のいわゆるCASEツールが多く登場し、日本語化が盛んに行われました。ナレッジウェアのADW、テキサスインスツルメントのIEFなどは、この時代のCASEツールの代表例です。
信頼性のあるコード生成技術と整合性を持たないCASEツールは、現在、生き残っていません。所詮、システムとは稼動してナンボということであります。また、良い製品とは、ユーザの期待に答えつづける製品であるとつくづく思います。
99年現在、BIS社は、存在していませんが、現在までに、NYNEX,ACTなどに買収され、旧BIS社の生み出した金融系の製品であるMidasを扱うマイダスキャピティ社が、BISの流れを引き継ぐという形で残り続けています。
< 1988~ サイノン社(当時は英国) >
CASEツールSYNON
サイノンの歴史を知っている人は、少ないでしょう。
サイノンの原点は、リレーショナルデータベース管理システムの標準化マニュアルとスケルトンの有償提供した事から始まりました。背景にはソフトウェアエンジニアリング的アプローチがあり、標準の延長線上にあるモデルベースのソフトウェア製品として発展しました。
私は、理論的な製品を好みます。これに反する経験的な製品は、一見とっつき易いのですが、OSやデータベース管理システムなどの仕様が変化しただけで大きな影響を受け、従って製品の寿命も短くなります。(この事実は、そのまま、技術者にも当てはまります。)しかしながら、利用者が何を選択するかは、好みの差で決まってしまいます。
初期のサイノンがターゲットとするデータベース環境は、信頼できるリレーショナルデータベースであれば、何でも良かったのです。この時代、ORACLE、SYBASE、Infomixなどは既に存在していましたが、ハード、ソフトの信頼性やツールの実現のし易さの点からIBMのAS/400(当時は、SYSTEMである。)が、ターゲットとなりました。こうしてデータベース管理とコードジェネレータが完全に統合され初代のサイノンが誕生しました。
初代サイノンは、IBMの多くのユーザーに受け入れられ、英国においてのサクセス・ストーリーになりました。当時、急成長したSYNON社は、英国で、300名以上の社員を抱える有名なベンチャー企業となったのです。
その後、初期メンバーからつづいた経営陣を一新し、本社をアメリカ・サンフランシスコ(ラクスパー)に移転、名実ともに国際企業になりました。現在に至るまで、製品には多くのバージョンアップがなされましたが、基本的なアーキテクチャは、全く変わっていません。完成度の高い製品は、20年以上利用しつづけることができます。
サイノン社は、98年にスターリング社に買収されました。SYNON/2Eという製品名は、STERLING社に、移ってからモデルベースの開発ツール群であるCOOLシリーズの一員としてCOOL:2Eとなっています。
< 1988 ~ 1990 英国政府標準SSADM >
SSADM(Structured Systems Analysys and Design Method)は、MODUSを開発したメンバーなどが参画し、分析と設計段階だけに特化したモデルベースの方法論として技術的に高い完成度になりました。(だからといって、一般の人が、使いやすいわけではありません。ややマニュアックな面もありますが、私は、好きです。) SSADMを開発したLBMS社は、その後SE(システムズ・エンジニア)というCASEツールを開発し、PoserBuilderとリポジトリー連携ができるツールとして欧米でかなりの導入実績をつくりましたが、残念ながら、日本語版は開発されませんでした。つい最近、LBMS社は、プラチナム社に買収され、プラチナムは、CA(コンピュータ・アソシエイツ)に買収されています。
< 1990 BIS社(英国) >
IE(インフォメーション・エンジニアリング)
RDM(ラピッド・ディベロップメント・メソドロジー)
< 1990~ サイノン社(英国・米国) >
SYNON/2E
90年になって、私は、BIS社で、英国で注目されつつあったIE(インフォメーション・エンジニアリング)を、学びました。また、このころから、短期開発手法のニーズが高まりBIS社のRDM(いわゆるRADのフレームワーク)を、学ぶ事ができました。ちなみに、私が、アイ・ティ・イノベーション設立前に働いていたジェームス・マーチン・ジャパンは、93年10月の設立ですから、私は、IEとRADについては、一足先に学んでいた事になります。
IE、RAD、SYNON/2E(現在のプロダクト名は、COOL:2E)は、すべてDOAのモデルに基礎を置いています。読者の皆さんは、10年前の話なのだからと言って古い技術であると決め付けないでください。ちょうど今、安心して使える技術なのです。
1999年10月19日