国内でもようやく「アーキテクチャ」という言葉が市民権を手に入れつつあるーそのように感じるのは私だけではないでしょう。例えば官公庁においては、デジタル化社会やSociety 5.0を実現するプラットフォーム設計の文脈でアーキテクチャが語られます。また産業界においても、クラウドネイティブなアーキテクチャを設計できる専門性が求められています。テクノロジーはもはや人々や社会にとって中心的な存在です。一方で、データの絶対量の増大やビジネス変化の激しさなどから情報システムは複雑化していきます。組織にとって大きな機会をもたらす一方で、たちまち手に負えなくなるリスクもはらんでいます。今こそ「都市計画としてのアーキテクチャ」が認識されるべきでしょう。
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<構想フェーズと実行フェーズ>
都市計画というと大きな話に聞こえるかもしれません。開発現場の実行力こそが重要という意見もあるでしょう。私自身アーキテクトとして、開発現場の第一線に長く携わっていたのでその意見もよくわかります。一方で、現場に下りてくるシステム企画案を見て、「これは本当にこの組織にとって価値あるシステムなのか」と思うことはないでしょうか。何となく、場当たり的な企画に見える。全体観を持ったストーリーのようなものも見えない。これではアーキテクト自身がビジネスに貢献できていると感じることはできません。むしろ、アーキテクトはもっと構想企画の段階に関わっていくべきでしょう。
「3人の石切り工」という寓話をご存じでしょうか。P.F.ドラッカーが「マネジメント」のなかで引用したものですが、これはアーキテクトにもあてはまる話だと思います。
三人の石切り工の話がある。何をしているかを聞かれて、それぞれが「暮らしを立てている」「最高の石切りの仕事をしている」「教会を建てている」と答えた。第三の男こそマネジャーである。第一の男は、仕事で何を得ようとしているかを知っており、事実それを得ている。一日の報酬に対して一日の仕事をする。だがマネジャーではない。将来もマネジャーにはなれない。
問題は第二の男である。熟練した技能は不可欠である。組織は最高の技能を要求しなければ二流の存在になる。しかし専門家は、単に石を磨き脚注を集めているにすぎなくとも、大きなことをしていると錯覚することがある。技能の重要性は強調しなければならないが、それは組織全体のニーズとの関連においてでなければならない。
PFドラッカー.マネジメント[エッセンシャル版].ダイヤモンド社
もう一つ、紹介します。
USBメモリーの生みの親でもある、世界的なデザイナー濱口秀司氏のインタビュー記事です。
「技術力は今でも世界一です。ただ…」USBメモリーの生みの親・濱口秀司に聞く、日本が“世界”で勝つには
ここで濱口氏は「日本人のクリエイティビティは今なお非常に高い」としながらも、「テクノロジー(技術)だけで勝てる時代がとっくに終わっている」と言います。そして、「ビジネスモデル」「テクノロジー(技術)」「顧客体験」の3領域同時にユニークさを追求することの重要性を指摘します。前回のコラムで、これからは「基本戦略系人材」と「ソリューション系人材」の溝を埋めつつ「クリエーション系人材」との協調が求められることと、EAはそれら多様な専門人材を巻き込み繋ぐための土台になるべき、と書きました。それと重なるように思います。さらに濱口氏は、「実行フェーズで頑張るという発想をやめ、より自由な上流でクリエイティビティを発揮すべき」と提案します。このことは、企業情報システムの世界でも同じことが言えると思います。
<全体観を取り戻そう>
従来から、企業情報システムの世界ではそれぞれの時代の主流技術を取り入れ、多様な要求に応えてきました。表面上のテクノロジーアーキテクチャは綺麗に整えられたかも知れません。しかし、ビジネスの根幹となるドメイン知識やデータ資産はシステムのあちこちに散在し、全体を把握することが誰にもできなくなりました。自社の情報システムはそこまでひどくないと言われるかもしれませんが、ユーザーに言われるままに増殖し続けるフロントシステム、開発プロジェクトの事情で分断された情報の流れ、今やその存在理由が誰にもわからないレガシーシステム、グローバル経営を阻害するグループ企業間のデータ不一致、なんとか業務を流すために為される職人的な手作業、などなど。。。皆さんの組織でも思い当たることが多いのではないのではないでしょうか。このような状況で実行フェーズのみ頑張り続けることに、終止符を打たねばなりません。
こうした企業情報システムの状況から脱却するには、企業自らが情報システムの全体観を取り戻し、今一度その手綱を手の内に収めることが第一歩となります。全体観とは、情報システムをバラバラのITシステムの寄せ集めと見るのではなく、お互いに関連し合う大きな一つの集合体として理解するということです。以前のコラムで、アーキテクチャを建築の世界における「都市計画」と「家づくり」に例えて説明しました。アーキテクチャには大きく都市計画と家づくりの2つのレベルがあると書きました。企業情報システムは都市そのものです。そして、個々のITシステムは家に相当します。しかし、あまりにも都市計画不在の企業情報システムが多いように感じます。企業情報システムはビジネスのOS(オペレーティングシステム)であるにもかかわらずです。昨今、ビジネスとITを直結することの重要性は認識されてきましたが、それらを繋ぐには都市計画とそれを導くためのデザインが不可欠です。しかしその議論はまだ少ないと言わざるを得ません。
<都市計画としてのアーキテクチャ>
従来から企業情報システムの世界にも、都市計画アプローチの考え方があります。これをEIS(企業情報システム)都市計画アプローチと言います。企業情報システムの全体像を包括的に捉えるために、1997年にGartner Groupにより提唱されたのが始まりと言われています。単一のアプリケーションドメインに適用するアーキテクチャ的な概念では、巨視的な体系である都市計画問題を扱うのには実際的でないとし、それぞれのレベルによって適用するアプローチそのものが異なるということを強調しています。個別の情報システムを個々の建築物とみなし、その有機的な集合体である都市としてのメタファーで論じようとするものです。
都市計画では計画レベルが粗くなると政策指向に、細かくなると製品指向になります。製品指向では個別の要素の性格が強くなってくるので、分析的・要素的に扱われる傾向にあります。これは情報システムでも同じです。個別の家づくりの前に、政策指向(企業の場合は、ビジネスニーズや戦略)でまとめられた都市計画があることが重要です。都市計画を実現するプロセスの基本は、マスタープランとゾーニングであると言われます。マスタープランとは、目指すべき姿と施策の方向性を示したものです。これはまさにエンタープライズアーキテクチャそのものと言えるでしょう。ゾーニングとは、地域ごとに区切って規制や標準を適用することです。SoR/SoEといった変化の異なる領域ごとで適材適所に技術・手法を採用していくことにあたるでしょう。
今後はデジタライズされたプラットフォームを活用するだけでなく、その上で多様なステークホルダーとのコラボレーションを組み立てていかなければなりません。その状況でアーキテクトは、個々のニーズやアイディアをまとまりのある全体に組織化していくことが求められます。ここにアーキテクトの存在理由があるのでしょう。そうした局面において、都市計画アプローチが活きるに違いありません。
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「都市計画としてのアーキテクチャ」が求められる背景とその概念を紹介しました。次回は、私の考えや経験を交えながら、その実践の難しさとそれをどう乗り越えていくかを書いてみたいと思います。お楽しみに!