[執筆:田中 静]
インドでは大学の研究者たちによるスタートアップ企業が内外投資家から注目を集めています。従来のスタートアップと異なるのは、専門領域を活かした先進技術を有する強みです。さらにこれまでの産学協同と異なるのは、研究者自身が起業家として経営に乗り出すスタートアップが増えていることです。
◆IITよりアカデミックなIIScの変貌
学者から起業家への流れがいま最も進んでいるのはベンガルールにあるIISc(インド理科大学院)かもしれません。米シリコンバレーで出身者の活躍が目立つインドの大学といえば、IIT(インド工科大学)が有名ですが、IIScは歴史の長さでもアカデミックな学風でもIITの上を行くインド屈指の科学の殿堂です。1911年にタタ財閥が開校した同校は、先ごろ発表された2016年地域別QS世界大学ランキング(英クアクアレリ・シモンズ)でもインド1位(アジア33位)と評価されています。
IIScはもともと基礎科学を中心とした少数精鋭の専門大学院(修士課程900人、博士課程2200人)です。大学というよりも研究機関の集合体といってよいでしょう。その若い研究者の中からいま多数の起業家が生まれ始めています。
◆ナノテク学者が設立したスタートアップ2社
例えば、ナノテク分野では、i2nテクノロジーズ(i2n Technologies)。同社はIIScのルドラ・プラタープ(Rudra Pratap)教授によって2011年に設立された会社です。プラタープ氏は米コーネル大で博士号を取得後1996年に帰印し、その後、IIScの教授となりました。専門はMEMS(Micro Electro Mechanical Systems)で、2011年には他の教授とともにナノサイエンス&エンジニアリングラボ(CeNSE)をIISc内に設立した人物です。同ラボは140人の博士課程学生が所属し、すでに50件ほどの特許を取得しています。このCeNSEから3社のスタートアップ企業が生まれ、そのひとつがプラタープ教授自らCEOとなっているi2nテクノロジーズです。
教授から起業家への転身といっても、いまのIIScでは必ずしも教授職を辞する必要はありません。米スタンフォード大出身で1999年にIISc教授(CeNSE所属)となったナバカンタ・バット(Navakanta Bhat)氏によれば、IIScではさほど難しいプロセスを経なくても長期の休暇がとれるようになったことが大きいそうです。例えば、教授職を1年間休職してその間、企業立ち上げに専念できる。会社経営を研究者仲間で持ち回りでできる環境をIISc側も整えたというわけです。
バット氏も現在は教授職を休職し、仲間と共にパスショド・ヘルスケア(PathShodh healthcare)という企業を立ち上げています。同社は血糖値などを測る小型医療診断機器メーカーです。同社の共同設立者やスタッフの多くはIIScの研究者で固められているところも強みです。
◆IISc発スタートアップの百花繚乱
宇宙航空分野では、ゴーパラン・ジャガディシュ(Gopalan Jagadeesh)助教授が自身の専門領域である衝撃波(Shockwaves)を強みに起業しています。学内の異分野研究者と協力しながら同氏が2013年に立ち上げたスーパーウェイブ・テクノロジー(Super-wave Technology)は、昨年から国営企業ONGC(インド石油天然ガス公社)と提携し、より安価で使用する水量を抑えることのできるシェールガス掘削技術の開発を始めています。
投資家からおそらく最も注目されているのは先進技術の医療分野での展開かもしれません。例えば、パンドラム・テクノロジーズ(Pandorum Technologies)は、生命科学系のツヒン・ボウミック(Tuhin Bhowmick)氏と宇宙航空系のアルン・チャンドル(Arun Chandru)氏が共同で立ち上げたバイオテクノロジー系ティッシュ・エンジニアリング(組織工学)企業で現在、同社では腎臓など3Dプリント技術による生体組織を開発中です。
貧困層の医療革命に貢献するスタートアップとしては、米MIT出身のダナンジェイ・デンドゥクリ(Dhananjay Dendukuri)氏たちが設立したアチラ・ラボ(Achira Labs)があります。同社はマイクロ流体チップの開発企業で様々な医療診断機器を廉価に製造するメーカーです。
アカデミズムと提携した医療系、医薬系のスタートアップが多いのはベンガルールだけではありません。医薬系ではドクター・レッディーズ・ラボや政府系研究機関が集積するハイデラバードも有力です。例えば、同市の医薬系インキュベーション団地、IKPナレッジ・パーク(IKP Knowledge Park=IKPは公衆衛生改善を目的とした財団法人)では2007年からライフサイエンス関係の企業育成を行っています。医療・生命科学系ビジネスは初期投資が膨大ですが、IIScなどの研究機関やインキュベーションパークでは共同使用できる大型設備を整えることでスタートアップのためのインフラ環境を整備し、支援しています。
◆インドの研究者兼起業家はとにかく若い!
大学発のスタートアップはIIScのみならず、全国各地にあるIITでも他の総合大学でもここ数年、百花繚乱の様相を呈しています。しかし、そもそも産学協同でのインキュベーションはどこの国でもむかしから盛んにおこなわれてきました。欧米諸国はもちろん、歴史的には日本もその先進国だったはずです。ところが、いまの状況を見る限り、インドの勢いは日本のそれをはるかに凌駕しています。それはなぜか? 上述のスタートアップ企業のHPで役員たちの写真を見ればわかります。
とにかく、彼ら彼女らは若いのです。インドでスタートアップに挑んでいる学者、研究者たちの多くは20代末から30代が中心で、しかも、その多くは米国で学んだことのある研究者たちです。いわば、いまのインドのスタートアップの勢いは、そうした若い世代の母国還流を通じて、米国流の起業風土が確実に根付いてきたことの証左でもあるわけです。
[参考記事]
◎Beautiful minds How these scientists are getting science out of laboratories and into daily lives(Economic Times 2016年5月27日付)
◎IISc, IITs among top 50 in QS Asia university rankings 2016(Indian Express2016年6月14日付)
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