【創業期 成長の兆し(2000年7月から2002年6月)45歳~47歳】
ベンチャー企業の経営者として、信頼される仕事がしたいと願っていた。一方、顧客が本当に何処まで期待、信頼してくれているのだろうか、大きな不安と少しばかりの自信が交錯する、そんな日々であった。
そして、この不安の中から、会社が力を付けると言うことはどのようなことなのか、を真剣に考えるようになった。その結果、もともと勉強していたソフトウェア・エンジニアリングのノウハウにプロジェクトマネジメントを強みとして加えて、社員とともに繰り返し質の高い仕事を積み重ねて行くという方向にたどり着いた。PMに関するコンサルティングを事業の特長とし、事業の大きな柱に位置づけ、成長を目指した。タイミングよく日経コンピュータの谷島記者(当時、動かないコンピュータシリーズを書いていた有名記者)と一緒に書いたPMの変革事例の連載(全10回程)が幸運にも事業の後押しをする形になった。
能登原現専務と不退転の決意で受注した某電機会社のPM支援の仕事(電力会社の工事、資材、経理の再構築プロジェクト)が、最初の大きく難しい仕事で、大規模プロジェクトを支援するPMノウハウの元になった。現在でもその電機会社との良好な関係は続いていて、特に電力、鉄道などの社会インフラ領域のITプロジェクトの仕事でよいお付き合いをいただいている。
実際のPM支援を続けながら、一方で社員と一緒に、PMBOK®などのグローバル標準をベースに日本のIT企業で活用できる開発やマネジメントのメソドロジー(方法論)を書きあげた。これを、Modusシリーズとして命名し、そこに体系化、製品化されているノウハウに基づいたITプロジェクトのコンサルティングと教育を実施するビジネスモデルを考えだした。日本ではユニークなビジネスモデルであり、会社の成長をこれまで支えてきた。このアプローチは、現在でもITIの重要な技術基盤になっているし、コンサルタントが技術情報を共有し、実際の活動を助けている。
会社は徐々に成長し社員数が10名を超えた。社内のマネジメントが重要な時期になった。創業期のメンバーは、皆、コマンドータイプ(一匹狼の技術屋)が多かった。事業の成長とともに、私のやり方とぶつかる人や、辞める人も多くなった。どうやったらマネジメントがうまくいくのか悩んだ時期だ。また、事業規模が大きくなることで固定費が増え、仕事が常時ないと経営が成り立たない一方で、仕事があれば社員総出でこなさなければならず、社員との関係、成長、経営の不安、採用・・・など悩みは、ますます多くなった。会社の成長と財務的な増強を同時にやらねばならず、増資を段階的に検討、実施した。会社の制度を少しずつ創りながら成長を目指すことの難しさに気づいたのもこの時期だ。そして人事、採用、経理、管理を専門とする部門を置かないと会社が廻らなくなる。(2002年6月期、資本金8700万円、売り上げ3億7千万に到達、社員数は、15~16名)
ITIの創業時、成長期の資金面では、犬飼産業元社長の犬飼孝氏(故人)、現社長の犬飼基夫氏の支えなしには、これまでの成長は無かった。
本当に強い企業になるためには、さらに何が必要なのかを心底考えた。
つづく