PM-WaiGaya
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先日、知人と「岐阜県の岐阜って、どのような意味なのか?」について話しをしていました。
色々と調べたところ、ノンフィクション作家の谷川 彰英様が中日新聞社のHPにある”達人に訊け!”で掲載している『地名に隠された名古屋の魅力 第22回 天下を見渡した「岐阜」の意味とは?』の内容が、一番しっくりとしました。
書かれている要旨は、次のとおりです。
「岐阜」という名称になったのは1567年、織田信長が斎藤龍興と戦って勝利を収め際に、城下の「井之口」という地名を改めたことが起源とのこと。
ではなぜ「岐阜」にしたのか?
尾張「政秀寺」を開山した沢彦宗恩(たくげんそうおん)が「岐山・岐陽・岐阜」という3つの地名を提案し、信長自身が選んだとされています。これは中国の故事にならったもので、周の時代に「岐山(きざん)」という所に都を置き、そこを拠点にして殷(いん)の国を滅亡に追い込んだ縁起のいい地名とされています。「岐山」という山は西安近くに実在する山で、この山にちなんだということになっています。
「岐」という漢字は「岐路」「多岐」という用語を見てもわかるように、「枝道」とか「分かれる」という意味を持っています。それに加えて「阜」は「大きい」とか「おか(丘・岡)」の意味です。
きっと、信長にはこの金華山が左右を見分ける「大きな岡」に見えたのでしょう!
仕事においても、人生においても、振り返ってみるとその時の判断が良い結果をもたらしたり、一方で悪い結果をもたらしたりします。
良い結果は自身に、悪い結果は教訓にし、目標に向かって前進することが大切であると、岐阜の話しをしながら改めて感じました。
重要な判断ポイントとなる分かれ道において、立ち止まらず、勇気を持って道を選択し前進したいものです。