私は、これまでに様々な賢人の教えを参考に、経営者として人の問題に向き合ってきた。
私が、好きな賢人の代表は、ドラッカー、岡潔、稲盛和夫、ニーチェ、サルトルなどである。彼らが残した言葉は、人と組織運営の本質をとらえているので、役に立つ。私が云う役に立つとは、概念ではなくて、実践で役立つということである。
今更、私が、吉田松陰の生き方や考え方が優れているといっても、それは、「当然ですよ。」ということになるかもしれない。しかしながら、私が、最も感心しているのは、実は松陰その人ではなく、多くの偉人を産んだ「松下村塾」の素晴らしさである。優れた賢人は多くいるが、多くの偉大な人材を育成した賢人は少ない。
さて、「松下村塾」の凄さは奈辺にあったか。それは、欧米のMBAでの教授法の特徴であるケーススタディを、この幕末という時代に日本のある意味辺境の長州で行っていたことである。所謂、様々な課題を題材に、参加者が、問題を考え抜き、議論をしつくす。最近流行りの白熱教室のコンセプトが、幕末に「松下村塾」としてすでに存在していたのである。そこでは、昼夜を通して議論をし、徹夜になることさえあったという。列強が、アジアに進出し、日本にも黒船が訪れた時代である。日本が列強にいかに対処し、生き延びるためには、何が必要か、人々をどの様に導けばよいのか、多くの知識人は真剣に悩んでいたと思う。このような社会的、時代背景の中で、松陰は、松下村塾を通して、入塾する若者たちに、知識教育ではなく、事の本質を捉え、どう行動するか、ということを教えている。
松陰が、信じていたのは、「いかに生きるかという志さえ立たせることができれば、人生そのものが学問に変わり、後は、生徒が勝手に学んでくれる」というものだ。
これらのことで、一人ひとりの個性を大切に扱い、自分の力で考え、とことん議論できる環境を整えた。
短期間、且つ少人数を教えた松陰であったが、なぜここまで優れた成果をあげることができたのか?
それは、松陰は、知識ややり方を教えたのではなく、本質とは何か、どう行動すべきか、どう生きるべきかについて、自分の力で考えることを教えたからだ、と私は思う。高杉晋作のように短命の弟子もいるが、「後悔しない生き方」を教えられたのではないかと思う。
改革や成長の実現について考えると、松陰は素晴らしいとリーダーだと思いませんか。
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