「人は死なない」(矢作 直樹著)というベストセラーを読み終えた。推薦者は、なんと84歳の母である。
4年前に私の父は、他界した。
数年間の間、母は父の介護をやりきった。私の父は、50代後半で糖尿を発症したが、上手く病気と付き合ったので、平均寿命を超える83歳で他界した。母は、父が、亡くなった後、一層元気になり、名古屋で一人暮らしをしている。母は父親の介護で十分苦労したので、好きなことをして過ごせばよいと、私は思っている。
昔の人なので羽目を外すことはないが、社交的な面を活かし、年齢の違う多くの友達と歌やマージャン、旅行をして楽しく暮らしているようだ。
そんな母は、年齢の割には元気なのであるが、私よりは、死は、身近だろう。信心深いわけでもなく、何か強い欲があるわけでもなく、ごく普通の老人の母が、「死生観が変わる」ということで私に面白い本だと薦めたのだ。
結論から言えば、「人は死なない」の意味は、肉体は、死ぬが魂は、死なないということだ。
著者は、自分自身の医師としての体験、家族の死、宗教、物理学、死生学などの多面的な視点で、事実や状況を冷静に分析し、死後の世界があることを確証している。特に、矢作氏が、山男であった時に、実体験した滑落時の体験や矢作さんの父親、母親の死、患者の生死の彷徨いなどの経験が、リアルである。 私の体験でも矢作さんと同様のことがあり、やはりと思わせられる。人間生まれれば死が毎日一歩ずつ近づいてくることは、自明であるが、肉体が死んだあとに、何が待っているのかを知らないことが、恐れになっている。命(=魂)だとすれば、死は、肉体の死に過ぎない。魂は永遠で、魂同士コミュニケーションも可能であるし、時空を超えることも自由であるとすれば、肉体的な死は、別の意味になってくる。
私は、父が亡くなった時もしばらくの間、すぐそこにいるような気がしていた。また、今年、母が13年かわいがっていた猫も亡くなった。しかし、今でも気配がするのだ。魂の存在が、そう感じかせているのか、脳の残像が、現れているのかは、問題にはしない。
私が、この本を読んで、感じたことは、死の先が見えていれば、生き方や死に方も変わるということだ。肉体の死の先には、まだ、楽しい別の世界が確実に待っているとすれば、今より、まっすぐに生きられると私は考える。
私は、このように感想を母に伝えようと思う。
私は、魂(霊)の存在を証明しようとはしないし、否定しようとも思わない。本書を読み、合理的に考えると魂は、限りなくありそうに思える。それで、いいじゃないか!と私は、思う。
お盆の前のちょっといい話でした。