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みなさんフルトヴェングラーというクラシック音楽の指揮者をご存知でしょうか?かの有名なカラヤン(ベルリンフィルハーモニー管弦楽団常任指揮者)の前任者です。カラヤンは数多くのレコード・CDを録音して、クラシック音楽を世に広めた功績は大きいのですが、一方のフルトヴェングラーは「音楽の即興性」を重視して録音を好みませんでした。
残念ながら今を生きる我々は、フルトヴェングラーが指揮をする生演奏を聴くことはできないので、本当の意味でのフルトヴェングラーの芸術を体験することはできません。しかし皮肉なことに、没後半世紀以上経った現在においても、フルトヴェングラーが演奏した隠れた録音が発見されてはCD化されて発売されるということが続いています。私もフルトヴェングラーの演奏を聴けば聴くほど、また、フルトヴェングラーに関する書物を読めば読むほど、その虜になってしまいました。(※1)
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クラシック音楽の指揮者とプロジェクトマネジメントにどんな関係があるかですって? いえいえ、クラシックコンサートはプロジェクトそのものです!
すなわち、クラシックコンサートという成果物を創出するために、指揮者というプロジェクトマネージャーが、文字通り指揮をするのです。また、全く同じ曲を演奏する場合であっても、会場が違ったり、聴衆も違ったり、天気が違ったり、気分が違ったり・・・クラシックコンサートも、1回1回がユニークなものです。プロジェクトの独自性と全く同じ特徴を持っています。
「クラシックコンサートはプロジェクトであり、プロジェクトマネージャーは指揮者である!」
そして、指揮者の中の指揮者であるフルトヴェングラーは、実に有能なプロジェクトマネージャーであり、1回1回のクラシックコンサート・プロジェクトを何度となく成功に導いたのです。その成果物の「レプリカ」をCDという形で現在の我々に提供し続けているのです。
なぜ「レプリカ」という言葉を使ったかというと、録音されたクラシック音楽では、時代背景や聴衆やその時の天気や聞いている場所等が演奏された時と全く異なるので、音楽の質も自ずと異なっていると考えられるからです。
たとえば、ヒトラーがドイツ精神高揚のために利用したワーグナー音楽の聖地で行われるバイロイト音楽祭は、第二次世界大戦後しばらく上演禁止となっていました。その再開を祝うためにフルトヴェングラーが指揮をしたベートーベンの第九交響曲の演奏(1951年)は文字通り歴史的名演と言われており、何種類かのCDとして今でも販売されています。
もしそのコンサート会場で実際にその名演を体験できていたとすると、それこそ自分の人生を大きく変える出来事になっていたに違いありません。しかし、それは私には想像でしかなく、実体験することはできないのです。(※2)
なお、私の場合、音楽をイヤホンで聴くことがほとんどなので、コンサートホールで実際に聴く場合と比べると視覚的要素も無く、なおさら本物の音楽とは大きな隔たりがあります。
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フルトヴェングラーが指揮をした演奏は、他の指揮者による演奏に比べて、演奏スピードの変化が大きいと言われています。つまり、楽譜に書かれているテンポに対して、ダイナミックに演奏スピードが変わるのです。「変わる」というよりも、フルトヴェングラーが「意図的に変えている」と言った方が正確です。
たとえば、先ほどご紹介した「フルトヴェングラーの第九」においては、第一楽章から実にゆったりしたペースで始まります。しかし、最後のクライマックスにおいては、再びこの地で演奏ができる喜び(世界に平和が戻ってきた喜び)が感極まり、ものすごいスピードでクライマックスに上り詰めます。
それは、素人の私が聴いても一部の楽器がそのスピードについて来ていないことがわかるぐらいの勢いです。逆にそのことが、指揮者とオーケストラ、観客、いや、全人類にとっての「歓喜」を表す音楽となって、心に沁みこんでくるのです。正にあの時代、その場面、この指揮者・・・でないと有りえない演奏です。
このように楽譜の指示を越えて演奏スピードを変えるという行為は、ベートーベンやモーツアルトなどの偉大な作曲家たちの音楽を踏みにじる行為だと批判の対象ともなっているようですが、実際その演奏を聴いてみると、他の演奏とは比較にならないほど心に響いてくるのです。それは何故でしょうか?
いろいろフルトヴェングラーについて書かれた書物などから、フルトヴェングラーの意図が次のような趣旨であることを認識するに至り、私はそのことに深く共感しています。
「単なる記号の集まりである楽譜には、ベートーベンやモーツアルトの作曲した音楽は100%表現しきれていないはずだ。だから、ベートーベンやモーツアルトの作曲した音楽の意図について、単なる記号の集まりである楽譜から深読みして、真の音楽をオーケストラに演奏させるように指揮をとる。」
なるほど。一理あると思いませんか? 正にクラシック音楽が「再現芸術」と言われる所以はここにあります。
また、ベートーベンやモーツアルトが作曲した時代とフルトヴェングラーの指揮した時代では、時代背景も楽器もコンサートホールも聴衆も異なります。1回1回が独自性のあるコンサート・プロジェクトであるとするならば、その独自性に応じた演奏を行うことが理にかなっているではないですか!
そして、この理屈はシステム開発におけるシステム企画や要件定義の重要性を思い起こさせます。
「エンドユーザーなどの各ステークフォルダーから表明されている表面的な要求を集めただけでは、その組織としての真の要求を100%表現しきれていないはずだ。だから、各ステークフォルダーからの要求を分析して、その組織としての真の要求を導き出してシステム企画書に落とし、真の要求に基づくシステムを構築するように指揮をとる。」
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今回はクラシックコンサートとシステム開発プロジェクトの共通性について、フルトヴェングラーを通してご紹介しました。
次回は、さらにフルトヴェングラーのプロジェクトマネジメント・テクニックの神髄をご紹介したいと思います。
それでは、次回もお楽しみに♪♪ < 前回 | 目次 | 次回 >
工藤武久
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※1 フルトヴェングラーに関しては、以下の文献を参照。
・吉田秀和(2011)『フルトヴェングラー』河出書房新社
・西口徹編(2011)『フルトヴェングラー—至高の指揮者 生誕125年記念総特集 (文藝別冊)』河出書房新社
・フルトヴェングラー(2011)『音楽を語る』河出書房新社
・フルトヴェングラー(1981)『音と言葉』新潮社
※2 「フルトヴェングラーの第九」については、「フルトヴェングラー」「第九」「バイロイト」などのキーワードで検索して頂ければ、いろいろな情報に行きあたると思います。是非、調べてみてください!