桜の開花宣言が、日本の各地で始まったころ私は、出張でクアラルンプールにいた。
フェイスブックの友達が、次々と桜の様子をあげてくる。もともと、緑や花が好きな人は、時々気に入った写真を披露するのであるが、「さくらの季節」は、模様が変わる。桜の色は、薄いが、皆で一斉に咲くから「さくら」なのだ。桜は、一斉に咲き一斉に散る。葉も何もないところから何か月もためていた力を使って一気に咲くのだ。
えっ!この人が、こんな風にと驚くことも多い。普段、花や自然とは縁遠いと思われるような人も、桜の時期になると心が、変化するのだろう。しばらく会っていない人のことを桜に対する想いと共に思い出す。そして、会いたい気持ちにさせる。
さまざまな人たちの想いが、桜の写し方やほんの少しのコメントから感じ取れることは、日本文化ならではのものであり、日本人に生まれて本当によかったと感じる。
桜の花便りは、フェイスブックの日本での最も感動的で洗練された使い方のひとつだろう。
私は、この大切な時期に桜のない外国のクアラルンプールだ。今すぐ日本の馴染みの桜の木の下に行きたい。さみしい気分になる。クアラルンプールからフェイスブックを通してみる日本の友達からの桜便りは、日本で感じる桜と比べると一層際立っているように感じる。福島の桜は、どうなっているのだろうか、故郷の桜は、・・など、それなりの歳で長く生きているせいなのかもしれないが、自分の中にこのような心があることは、誇りにも思える。
日本人のこころの繊細さや日本的な季節感、日本の入学式や卒業式、勤めている会社の人の転勤など出会いと別れの節目でもあり、また、四季の移り変わりも表している。桜は、人と人との出会いや別れを演出する。人は、桜に見送られれば、明るく前向きな気持ちになるだろう。
「さくら」とは、私は、日本そのものだと思う。