日印の懸け橋を話題にした連載を終えてやっと肩の荷が降りホットした心持ちだ。読者の皆さん気合を入れて2ヶ月書いたので、もし読まれていないのであれば是非一読をお願いしたい。
今回は話題を変えてみた。
どの会社でも社員が、一生懸命仕事をしていることと思う。しかし、ふと気が付くと、忙しさや余裕の無さが原因で、人と人との関係が荒み、大小のもめごとが起こってくる。どうしてだろう。何かが欠乏しているのだ。体ではなく「こころ」のどこかに油切れが生じ、時にはぎすぎすと長い時間のこすれ傷ができて心の奥から悲鳴を上げているのだ。ほんの些細なことから組織に亀裂ができることもしばしばある。
そこで、必要なのは、心の回復である。
なごませるは、漢字で書くと和ませると書く。
「和む」を辞書で引くと次のような訳が出てくる。気持ちなどがやわらいで落ち着く。なごやかになる。「すさんだ気分が―・む」気持ちなどをやわらげる。なごやかにする。
また、和むと似た意味の言葉で「癒される」が、ある。この意味も辛い思いなどが和らぎ、穏やかな気分になること。ストレスが軽減されること。
これらは、現代の社会人にとって不可欠な要素であると私は、考えている。「和む」「癒される」本質的な意味に相当する英語は、存在しない。日本独特の表現であるようだ。勿論、英語にも穏やかにする意味の「calm」ましてや「癒す」に関しては、(病気などを)cure;(傷などを)heal;(空腹などを)satisfy; など症状をやわらげるという意味の単語は、あるが、本当の癒しなどとは全く違う。
私たちが、人と接する場面で必要なことは、物理的な症状の緩和ではなく、心に影響を及ぼす「和み」や「癒し」である。
自分の好きな音楽を聴こう、自分の好きな絵画を観よう、自分の好きな景色を見るために旅に出よう・・・・誰もが、自分の心に和みと癒しを与えられる何かを持つことだ。
仕事で時間がないからそれが見つからないのだという人がいるかもしれない。それは、完全な間違いで、「何のために仕事をしているか!」について深く考えたほうがよい。