さて、タイの大学訪問で分かったことは、
日本の経済支援により、タイ国内に多くの製造業が最初に、続いて流通、サービス業が進出し成功を収めているが、タイの教育の分野に貢献している日本人は、まだ限定的であると、私は感じている。また、中国の経済的な発展と呼応して、中国の大学の世界での存在は、強くなってきている。
このまま、多くの中国の大学が、積極的に海外の学生を自国に受け入れ、文化的交流・教育的な交流をはかることができれば、将来、アジアと中国の良好な相互関係を築くことが可能になると思われる。今回の中国、日本の混成訪問チームが、タイの大学に大きなインパクトを与えたことはいうまでもない。私たちが一緒に作ったアイデアが、タイで受け入れられたことは、うれしい。中国、日本の一つのチームとしての成果であると思う。
日本の大学が、基礎学問、研究重視であるのに対して、タイの大学の多くは、実学、実務に相当な力を入れている。特に、語学とITの分野では、インド、中国のレベルに発展するのは遠くない話だろう。中国の大学も実業に力を入れていてタイに似た面がある。日本が、見習わなければならないのは、実学やグローバル化に対する姿勢である。日本でよく見受ける旧態依然とした組織では、時代の要求に応えられないかもしれない。日本の組織は、意思決定とスピードの点では、負けている。また、学生よりむしろ力を入れなければならないのは、大学の講師の国際化と海外交流の実現である。
貴重だったのは、タイの大学で日本語を教えている日本人講師二人と日本で博士号を取得しタイでICT部門の長をしているタイ人講師と出会えたことだ。タイの大学訪問で分かったことは、大学が社会の事情に合った貢献を果たしているということだ。彼らは、聞く耳を持っていた。聞く耳を持つことからことは始まる。副学長や学部長が、自ら意思決定に加わることが良い。
今回印象的だったこと、感動したことを付記する。
最終日に、バンコク郊外にある大学を訪問した。ホテルから大学まで約一時間の道のりであった。大学は、まさに、数か月前まで洪水で水没している場所にあった。国際学部の責任者が、日本の地震の被害について気遣ってくれた。そのあと、洪水の被害から復興までの話を聴くことができた。校内は、すべて、2メートルほどの浸水の被害に遭い、授業が2か月も遅れている。現在は、復旧しほぼ正常に大学の活動は行われている。しかし復旧の際には、生徒の発案で、キャンパスにきれいにレイアウトされていた枯れた木々や校舎にペイントを施されたのだ。学生が主体的に枯れた木々にオレンジや青など様々な色をつけた。その結果、大学全部が、新しい人工的なデザインになった。その時の様子は、何枚かの写真に取って本部に記念にとして飾ってある。素晴らしいことである。一方、東軟学院も成都にある校舎が、大地震で被災しているが、その際に、大連と広州の校舎に3000名の被災した学生を列車に分乗させて受け入れを行っている。災害は、悲惨なものであるが、人々が、それに対してどのように向き合うかが大切だと思う。
洪水で被災した学校、タイの人々に改めてお見舞いを申し上げたい。