覚悟ということばを辞書で引くと以下の解説がされている。
・困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること。
・迷いを脱し、真理を悟ること。
・つらい事態を避けられないものとして、あきらめること。観念すること。
・覚えること。記憶すること。
・知ること。存知。
漢字そのものの元の意味は、「覚える」と「悟る」という字の連結になっている。覚えるは、記憶することだし、悟るは、心で真理を知ると意味である。頭で表面的な理解するのではなく、心底、心の中でしっかりと記憶として刻み込むことなのだ。その後、困難なことや難儀なことに対する迷いの無い心構え、諦め、観念するなどを表すことばに進化したのではないかと思う。
私は、仕事柄、年間にかなりの数の人と会う。仕事の話だけではなく、趣味や芸術、時には生きかた、考え方、人生に関わる話もする。色々な人を見ていると「覚悟」している人とそうでない人は生き方が、全く違う。「覚悟」とは、情動を伴う。また、外から押し付けられた結果として、いわゆる本当の意味での覚悟ができる人になれることはないだろう。成そうとすることに対する責任や役割が先にあり、次に覚悟が生ずるわけではない。覚悟とは、その人の物事に対する態度であり、本質である。生き方、その人の考え方、思想から来るものだと考えている。年齢、性別、職業などに関係なく何かに対して覚悟ができている人とそうでない人は、大きく違う。できる人は、何かについての責任や具体的な仕事が目の前に出てくる前に、心の中に何かを真剣にやり遂げようとする強いものができている。一度やろうと決意したら迷いやぶれは無い。そのような状態になってから関係者との間で具体的な責任や役割が明確にされる。困難な対象に対して順番が逆では、迷いやぶれ、自分のことが気になってなかなかうまくいかないだろう。
「覚悟」とは、人間ならではの崇高で、英語には無い日本的な概念である。覚悟ということばには、情動や思想がもともと含まれる。
昨日、山田洋二監督の「母べえ」という吉永小百合主演の映画を観た。困難な時代で一生懸命生きた母の話であるが、「母べえ」は、何事に対してもまっすぐでぶれない。愛している夫、友人、家族にも先立たれる境遇は、不幸で悲しいが、一方で、「覚悟」を決め粘り強く筋を通して行き抜けば、境遇を跳ね返し、2人の娘を立派に育て上げることができるというハッピーエンドになるんだという希望の物語でもある。吉永小百合もこの役柄にはぴったりで好演している。映画は、人により色々な感じ方、見方ができる。私には、一見弱い立場の人なのであるが、「覚悟ができていればこれほど強く生きられるんだよ!」という山田監督のメッセージが聞こえた。
覚悟して生きること、仕事すること、遊ぶことが、大切である。