この11月に、私の父親と親友の父親が、立て続けに亡くなった。あらためて私と父との関係を振り返ると、父には、人との接し方、控えめな生き方、人との関係のあり方を教えてもらったと思う。
私の父は、海軍除隊後、名古屋でこぢんまりと商売をはじめた。近所の子供たちの父親は、サラリーマンが多く、毎日会社に通うのと違って、父は、比較的家に居ることが多く。夕方には、キャッチボールをしたりして遊んでくれた。また、不定期に休みを取り、川や海、キャンプ、ドライブなど毎週のように連れて行ってくれた。私には、怒ることも、指導することもほとんど無く何でも受け入れてくれる父親だった。そのような父親であるが、取引先や親類との関係(冠婚葬祭など)を大切にしていたし、父親が居ることで、親戚筋や親しい取引先のお祝い事や葬儀など円滑に段取りが進むので、誰からも頼りにされていた。また、引退後は、三百数十世帯もある町内の会長として、まじめにまめに仕事をこなしていた。社交的で誰からも慕われていたが、公式の場では、意見を言わない性格でもあった。分かっているけど何も言わない人であった。その様な活動のお陰で、町内から多く方が弔問に訪れていただいた。思ったより多かったので私も母も父のことを驚いている。
さて、親友の父からは、商売というものを学んだ。今、その親友は、彼の父が戦後の経済発展とともに発展させた家業を継ぎ、立派な社長になっている。親友の父が、まだ元気な時期(1998年)に、私は、今の会社を創業し、いろいろな商売のノウハウ、コツを親友とは別の形で教えていただいた。40歳を少し超えたばかりで、私には、勢いはあったが事業の本当のことは、分かっていなかった。きっと、親友の父は、もう一人の息子のつもりで、接してくれたと思うし、暖かいが、ある時は厳しく指導してくれたと思う。そのお陰で、今の私と会社はあるといえる。
ここ2-3年、二人の父は、80歳を過ぎて病気がちになった。一線からは、退いてはいたが、居てくれるのと居なくなるのとは、これほど、違うものかと失ってから初めて分かることも多い。これが、人生経験だと考えている。
忙しく生きている中で、立ち止まり、父や母との関係を振り返ることができるのが、葬儀であり、本当の別れが、そうさせるのだと思う。また、二つの別れが、人の気持ちを慮ることの大切さをあらためて教えてくれた気がする。