金子
入社した年の11月に始まったプロジェクトでした。上司はいましたが、ほとんど一人でやっていました。当時だから許された事だったと思いますが、翌週から顧客先に行って、現地での試験をやる予定だったのですが、実は半分しかできていませんでした。上司は、試験の日程が決まっているのでとにかく行けということになって、同期と2人で行きました。
最初は、顧客へのあいさつがあるので上司がついてきてくれるのですが、翌日から2名だけでした。その時、上司に言われたのが「決して新人であることを悟られるな。」なんですね。同期と二人で顔を見合わせましたよ。その晩、同期と飲みに行って「どうする。」「そうは、言っても俺たちは新人だからな。」とぼやきながら、結局は1年近くやりました。結構大変でした。
能登原
大変でしたね。プログラムは、半分しか出来ていないのでテストしている振りをして作っていたのですか。
金子
おっしゃるとおりです。昼間に試験をしてバグがでますよね。それを夜中にバグ取りと残りの部分を作っていました。それを日課のようにやっていました。
能登原
お客様には、新人であることを隠しながら、また、出来ていないということも隠しながら、試験を淡々と上手くやっていたのですね。(笑)
金子
はい。でも、恵まれていたのが、そのときのお客様は、メーカの技術部の課長さんでいい方でした。当然、実態を見抜ぬかれましたが、本来ならば頭ごなしに怒って、上司を呼びつけるところですが、そんなことはせずに「とにかく頑張っているんだから俺が面倒見てやろう。」と言っていただきました。その人がある意味先生になりました。その方からドキュメントの書き方、提案書の書き方、マニュアルの書き方などを教わりました。(笑)
能登原
そういう方が以前は、いましたよね。
金子
当然、契約関係はありますが、そういうのは度外視をしてでもいいものをつくろうとか、一緒につくろうとかいう感覚をもっていた人がたくさんいました。今でこそ契約で線引きがあって、殺伐しすぎているというかドライすぎると最近思います。昔のほうが泥臭いですよね。
能登原
そうですね。泥臭いですね。昔のほうが新人に対する鍛え方が厳しかったかもしれません。金子さんみたいなことをやられたら否応なしに伸びますよね。今は、過保護かもしれませんね。
金子
今は、スマートというか、かっこよく育てる傾向があるかもしれません。理論から入るというか知識から入るというか。
能登原
そうですね。頭でっかちの傾向があるかもしれません。
金子
厳しいほうがその後の結果が、自分にとって自信にもなりましたね。私の上司もその大変な仕事をこなした結果を見て評価するので、周りの連中も一目置くわけですよ。そうすると、新規の案件とか通信制御系の変わった案件は、必然と私のところへくるんですよ。そうなるとその後の仕事のやり方は、面白かったですね。自分のやりやすいようにやれたので。
能登原
私のかつての上司から新人の頃、せっかく入社したんだから「誰にも負けない強みを持て。」とよく言われました。まさに金子さんは、通信制御の部分は、他の人に比べて強みを持てた訳ですね。
金子
入社当時の上司は、いわゆる理系で学者肌で、それでいて現場が好きな人で賢い人でした。組織は小さいですから、一人一芸にしないと商売が回らないところがありますので、上司が個人毎に得意な分野を持たせました。きちっとカリキュラムを作ったわけではないですが、案件を回していく中において個人のためにもなりますし、事業をやっていく上でも非常にいいわけです。そうなると同期でも、ある人の得意分野においては太刀打ちできないわけですよ。プロジェクトになると、得意技を持った連中を集めて、その技を融合させてひとつのものを仕上げるわけです。かっこういいですよね。
能登原
それは、組織運営とか人の伸ばし方において参考になりますね。
金子
それが、私の考え方の基礎になっています。
能登原
そうしてないところもありますよね。普通は、万遍なく育てようとします。
金子
万遍なく育てようとすると、ある時期はボリューム感が出てきていいのかもしれませんが、いずれ組織はピラミッドになるわけですから内部で競合し、組織が硬直化する可能性があると思います。したがって、得意分野をもつということは、これらの問題がないわけです。
能登原
そうなると、得意分野の人たちが集まれば、自分たちでどこでも何とかできるわけですね。上司の組織運営は、ユニークだったですね。
金子
ただ、そこまで考えていたのかわかりませんが、組織が小さかったのでそうせざるをえなかったのが正直なところかもしれません。
能登原
そこからすぐ金融関係に移ったのですね。
金子
そうですね。入社して2年後ぐらいから、金融系のネットワーク関係の仕事がぽつぽつと入りだしました。当時は、第三次オンラインのころでしたので、銀行間のネットワーク接続をやっていました。そして、金融のネットワーク関係の製品化も手掛けました。
能登原
プロフィールを拝見しますと、10年ぐらい業種としては金融系をやられていますが、ずっと通信系をやっていたのですか?それとも役割の幅を広げていったのですか。
金子
役割が変わりました。業種でいうと金融系の通信制御といわれるところをメインにやっているチームに属していたので、そこのリーダになりました。
能登原
メンバーの方は、何人ぐらいいらっしゃいましたか?
金子
様々ですが、最初のころは社員で2、3名、パートナーさんを含めると全部で5人ぐらいのメンバーでした。
能登原
最初、リーダになったときに気をつけたことや、やっておこうとか思ったことは、ありましたか?
金子
当時、プロジェクトマネジメントという言葉もなかった時代でした。「お前は、案件のリーダで、下にこれぐらいの人間をつけるので何とかしろ。」ということでした。まさに手探り状態で、会社としてもお作法もない状態でした。どうしていいかわからない状況からのスタートでした。
案の定、リーダとしてチームを持たされたときは、失敗しました。それは、メーカからのパッケージ開発で、納期にしても3ヶ月遅れ、費用にしても倍ぐらいかかってしまいました。そのとき初めてパートナーを自分の配下につけて管理したのですが、外注管理もままならず、失敗したという結末です。相当へこみました。
逆にそれまで自分は優等生の部類だったわけで、小さい組織から立ち上げて、通信制御のことなら金子に聞けと言われるぐらいになっていたので、鼻っ柱は強くなっていました。しかし、それまでは、自分の技量でどうにか出来ていたんですけど、リーダとなり、パートナーも何人か持たされていざやってみると、自分では出来るとは思っていたものが、まったくダメなんです。自分の思い通りには動かせませんでした。人をコントロールする上で、個人個人のレベルも違いますし、それらをバランスよくコントロールするさじ加減の経験が、私には全くないのです。結果、自分のスケジュール通りには、全くうまくいきませんでした。思った通りの品質も上がらないし、最後の方になると火が噴出したわけですね。当然、お客様は、カンカンになりました。
今でも、ショックだったことは、メーカさんに行って導入して試験をしているときでした。向こうのマネージャさんに、進捗状態が悪いし品質も悪そうだということを言われ、会議室に呼ばれました。そこには、我々が作ったプログラムのソースリストが積まれているわけです。何が始まるかと思ったらその方は、パラパラとソースリストをめくるわけです。バグを直すと、ソースリストにコメントを残すわけですが、物によっては原型をとどめないものもあるんですね。お客様からは、「どういうことですか。本当にデバッグしているのですか。仕様書は、ちゃんとできているんですか。ちゃんとレビューしているんですか。」と2時間ぐらい延々と言われたんですね。それが、自分の中で相当ききましたね。
一方で、プロジェクトでは、悪いことばっかりではなくて、自分にとって恵まれていた事が2点ありました。1点目は、担当上司は、新人の頃見ていただいた方から代わっていたのですが、その方は、現場を大切にし、非常にやさしい方で、われわれがトラぶって缶詰状態のとき、毎日その上司が現場に来てくれました。私が作成した、つたない進捗報告書を毎日毎日チェックしてくれて、問題、課題をきちっと拾い上げ、翌日には手当てをしてくれました。その人のマネジメントぶりを見ていて、こういうことをちゃんとやっていかないとプロジェクトは、上手く出来ないと感じ取りました。
2点目は、そのときのメンバーの一人に私の3年後輩がいまして、一番頼りになる部下でした。彼は、仲間意識が強く、和を大切にする人物であり、チームにいる様々な人たちを上手くまとめてくれて、かつ先々何をやらなければならないかをきっちりおさえていてくれました。私がお客様との調整で忙しいときでも現場を上手くまとめてくれました。このような人を上手くコントロールするのがリーダの役割であると痛感しました。
その時、二度とこんな辛い経験をしたくないという思い、プロジェクトマネジメントがいかに大切であるかも認識しました。そして、以降は、プロジェクトマネジメントについて必死に勉強しました。当時だとデマルコとかワインバーグの本などを色々と読み漁りました。
能登原
辛い経験をした場合、自分は、向いてないと感じることもあると思いますが、そういう苦しい時期に、リーダーシップとかマネジメントに関しての勉強をされたということは、この山を乗り越えてやるという意欲が湧いたわけですね。
金子
かっこよくいえばそうですが、元々必死になってやってしまう性格なので、二度とこんな思いはしたくないと考えただけです。それと立場的には、この先色んな仕事を任されると考えていたので、10、20人という規模でメンバーを従えないといけない時期がきっとくるだろうと思いました。その時にこんなやり方でやっていたら自分も大変だし、プロジェクトに関わったメンバーも、かわいそうだろうと思いました。チームのメンバーがやっていてよかったね、おもしろかったねと思えるようなチームを作っていくためには、自分が勉強するしかないと思いました。
今でもそうですが、上司というのは、リーダを任命しますよね。そして、「お前はリーダだから責任をもってやれよ」と言いますよね。でも、具体的に何をどうするかという指導が出来ている上司は、何人いるのかと考えたとき、ほとんどいないと思います。それこそ、研修に行けよとか、だれだれに聞けとか言う人は多くいますけどね。やはり、リーダとしての人格とか、モチベーションの持ち方、方法論をきっちりマスターして、それを発揮できる人を育てあげるくらいでないといけませんね。
(次回に続く)