PM-WaiGaya
コンサルタントのトーク動画
先日、ある会社の役員の方と話をした際に「考える」社員が少なくなってきているという悩みを聞かされた。
役員「例のあの件は、考えたのか?」
社員「はあ、考えましたが、分かりませんでした。」
役員「この計画について、十分考えてくれ!」
社員「はい、考えてみました。私には、難しすぎます。」
「これについては、会社が決めることだと思います。」
役員「・・・・・・?!」
などは会話の例であるが、まったく会話になっていないことがわかるだろう。
そもそも考えるという言葉の意味すら、この社員は理解していないということだ。
考えることが仕事の筈であるが、この人は、仕事を放棄しているのと同じだと私は、思う。
「考える」という言葉の意味を、辞書で引くと以下のようなことが出てくる。
つまり、「考える」ことは、筋道を立て、思考し、結論を示すことだ。
結論が示せなくとも筋道を立て、予測したり、想像することで、その内容が明確に示されなければ考えたとはいえない。
筋道を立てた考えとは、「結論が何で、なぜそのような結論に至ったのか、論拠を明確にすること。」である。
人の意見、見た目、足元で起こった事象に左右されること無く、もっと、もっと自分の力でよく考えてから、行動しよう。
「自分の考え」が無いので、人の意見やちょっとしたことに左右され、軸がぶれるのだ。筋道を立てて深く考えないために、せっかく勉強した知識や経験が生かせない状況に陥る。
「私の考えは、こうだ!」という人が増えなければ、日本の将来は危うい。
もう少しだけ自力で考えよう!