インターネットでリーダーシップを検索すると、かなりの情報が出てくる。自分が納得できるリーダーシップの情報を得るためには、様々な判断が必要になる。これは、楽しいことだ。
リーダーシップとは、
P.F.ドラッカーは、著書「現代の経営」の中で、人をひきつけることではない。つまり、そのようなものは、単なる人を変に揺さぶるような資質に過ぎない。
また、仲間を作り、人に影響を与えることでもないと言っている。それは、セールスマンシップと呼ぶほうがふさわしいかもしれない。軸も目標も無く、一時的にこのような振る舞いも可能だろう。
時間の経過と共に、中身やはっきりとした考えが無いことがばれてしまうに違いない。その人自身に、中身が無いか借り物の場合は、苦境に立ったとき必ず言い訳をするか、責任から逃げ出すことになる。
リーダーシップの本質は、大きな成果を実現するための何かであると、ドラッカーは言っている。
その原点は、何であるか考えてみよう。
であると私も思う。別の言葉で言えば、「軸」や「筋」などが近い意味だろう。
何か高い目標を掲げて実現を目指す場合、簡単に妥協や方針変更などできるわけが無い。
簡単に妥協をすることは、考えることを放棄することだ。悔いの無くなるまで考えることだ。考えつくして定めた方針、戦略、計画は、成功する可能性は高い。
リーダーシップを持っていると言うことは、目標を定め、さらに責任と使命感をしっかりと持っていることだと私は、考えている。
リーダーシップを支えているものは、何であろうか考えてみよう。
リーダーシップとは、その人自身が、持っているものであると考えたらどうだろうか。
リーダーシップは、一般的に、人々の中で発揮している様子・振る舞いを示すことが多い。
本当は、リーダーの内側にある基本の考え方も問題だと思う。チームの纏め方や人の動かし方で悩み、リーダーシップの本やセミナーに出る人が多くいるが、やり方やテクニックを学んでいる限り、望んでいる変化はできないだろう。むしろ、なかなか効果が出ないことにがっかりするのが落ちである。他人への影響行動がうまくいかない理由は、自分自身にあることに気付かなければならない。
自分へのリーダーシップこそリーダーシップの原点である。
使命感を持って何かを本気で追求している人が、周りの人に感動を呼び、協調行動を喚起させる。これらの様子を他人が評価してリーダーであるかどうかが決まるのだ。
立派な組織が、地位や役割を指名したとしてもリーダーとして認められるかどうかは、周りの関係者の問題である。
つまり、リーダーシップは、自分自身へのリーダーシップが、先にあって、仲間への正の共鳴が起こったときに機能する。