ブライアンより一言
前回は「失敗をしなければ何事もなしえない」という言葉と、エジソンのエピソードをご紹介しました。
しかし、失敗をしながら軌道修正をし、ゴールにたどり着くという考え方は、皆さんになかなか飲み込んでいただけないようです。おそらく学校の先生や親御さんたちから「失敗してはいけない」といわれ続けたからでしょう。
特に学校では、正しい答えをしたかどうかで評価されます。学校の試験のように「正解はひとつだけ」なら、それを覚えればいいのですから、考える必要はありません。おそらく学校で自分のゴールや夢、抱負は何なの、どうしたらそれを実現できるかについてとことん考えることを教わった人は少ないはずです。
でも、いま、あなたがいるのは学校ではなくて実社会です。厄介なことに、学校では一方的に「正しい答え」を詰め込まれるので、自分の頭でじっくり考える習慣を身につけることができません。でもそれでは成功への道はおぼつかないのです。
私は成功へ至る正しい道がひとつしかないとは思っていません。でも同時に、成功へ至る道は創造的努力の結果であり、どれだけ強く夢の実現を願い、成功の対価を支払う覚悟をしたかによって決まることも確かです。
「失敗は取り返しがきき、成功には限りがない」(ロバート・シューラー)
林衛よりコメント
現在の学校の試験は、ほとんどの人が正答できることを前提に、横並びで評価します。ブライアンの言うとおり、要するに失敗が少ない人ほど成績がよくなるシステムです。
一部で「突出した才能を育てたい」という教育方針を掲げているところはありますが、実際には学校という組織体がそのように動けない。それは「失敗しない先生がよい先生」と考えられているからです。本来は、子供の潜在する才能を見出して伸ばしたり、殻を破る支援をするのが教育の役割であるのに、画一的な「失敗しない」品質の子供を育てようとしています。しかし、エジソンの例に見られるように、ひとつも失敗しないで、新しい物を生み出すことは不可能です。
私は日本も徐々に失敗を許す文化に変わってきているのではないかと思います。その比率がクォーターを超えたときに全体が変わるでしょう。
その人の不得意な面を取りざたするより、まず他の人とは違う得意な面を伸ばしていくことが大切です。そのことによって自分に自信を持てると、不得意な部分も小さくなっていきます。問題は親たちが本当にわが子の失敗を許容できるかです。自分の子供には失敗させたくないという心理が働きますし、本当にすごい得意分野を持っている子は、いわゆる親の期待するいい子ではありませんから。
「失敗は取り返しがきき、成功には限りがない」という言葉はよい言葉ですが、良識ある解釈が必要ですね。このコラムの読者にはそういう解釈をする人はいらっしゃらないとは思いますが、何をしてもよいといっているわけではありません。学校でも社会でも仕事でも、やはり取り返しのきかないことはあります。
ただ、私は次のように考えています。われわれの社会では「同期と同じように昇進できなかったら失敗だ」「試験に合格できなかった」とオールオアナッシングで考えます。しかし成功・失敗と言いますが、何かにチャレンジした場合、100%の成功、100%の失敗というのは、実際にはまずありえない。達成できなかった部分も、その反省を次に生かすことができる。ですから目標を持ってチャレンジし続けていけば、多くを得るところがあります。
社会に出たあとのほうが選択肢も自由度も多いのですから、学校教育を引きずってそれをわざわざ狭めることはないのです。ただ、人間は同じ環境にいるとどうしても視野が狭くなります。組織で適切なローテーションを行うと、柔軟な考え方をする人が育ちます。やはり環境が人を育てる部分は大きいのです。
もうひとつ、ブライアンのいっていることで大事なことは、自分で考え、決めたことでないと情熱も努力も持続性を持てないということです。ゴールにたどり着くこと、プロジェクトをやり遂げることにおいて人間の「情動」のウエイトは非常に大きいことを忘れてはいけません。
<第9回につづく>